「あなたは学びに貪欲な人」と尊敬する上司に言われたことがあった。だいぶ記憶力が落ちてきているが、基本的には勉強することが好きだ。知らないことを知ることが私をまだ見ぬ世界に連れて行ってくれる、あるいは、放り込まれた世界で役に立ってくれるだろうと実感しているから。
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進学校に行き、良い大学に入ることは母の強い願いであり、思春期の私を苦しめる原因でもあった。高校受験に失敗したら命に関わるとすら感じていたし、早く家を出たくて東京の大学を受験し、逃げるように地元を飛び出した。
それでも振り返れば、人生のハイライトは高校時代であり、東京に出てきたことで世界が広がったと実感しているので、当時の環境がどうであれ結果的には感謝している。それはひとえに学び続けた結果がもたらした未来であり、現在である。
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大学では東南アジアの国の言語や文化を学び、ゼミでは国際関係論について特にメディア軸でアプローチをして、放送局の国際放送部門でアルバイトをしていた。しかし就職先は主に国内で商業施設を運営する会社。英語すら使わない環境となり4年間を無駄にしてしまった気がしていたが、入社11年目の現在は広報担当としてのメディア対応や記事の翻訳、海外出張の可能性もある部署に身を置いており、巡り巡って繋がってきていることに自分でも驚いている。何より「知らない言語を学んで使えるようにする」ことで培われたコミュニケーション力やチャレンジ精神が、さまざまな局面で私を助けてくれている。
転職するか悩んで2年前に入会したキャリアスクールでは、マーケティングを学び直してスタートアップ出向でのスキルの足しにしたり、ライティングを学んで副業を始めたりと、仕事に直結させることができた。ただ闇雲に学んだ訳ではなく「こうなりたい」と思い描くビジョンに近づく方法として学ぶものを選んできた。
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振り返れば、少し先の未来を想像することで、私は現在を手放さずに歩んでくることができた。
私の学びの先には、いつだって未来の可能性があるのだ。
学生時代と異なるのは、その未来が遠いところになく、ともすればすぐ「現在」になってしまうことだ。それは不安でもあり、希望でもある。学んだままにせず実践できる場があること、実践するために学ぶこと。そこには大いなる意義がある。よく言われるが「わかる」と「できる」は全く違うのだ。
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仕事という場で学びを実践し、実績に変えていけるのは、大人の特権なのかもしれない。もちろん責任も伴うし、辛い面だって多々ある。けれど、学んだことがどこかで生きてくることを知っていれば、恐れずに挑戦していける。
「こんなことを学んで何になるんだろう?」と思うこともあるかもしれないが、きっとどこかで伏線を回収することができると信じている。だからこそ、私は学ぶことをやめられないし、おそらく死ぬまで学び続けるのだろう。いつだってよりよい未来を想像しながら、学びに貪欲な人間でいたい。