私と世界は切っても切れない関係なのだ。
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近年、様々な技術の発達によって、ひとやものなど物理的な距離はますます近くなっていると感じる。日本にいても、簡単に海外からコスメやCD、洋服などを買うことができるし、SNSの普及により、世界中に友人を作ることも簡単になってきた。私自身、海外の商品を買うことも多いし、ほしいものがすぐに手に入る、SNSで趣味を通じて住んでいる場所や使う言語を問わず友人を作ることができる状態を非常に便利でありがたいと思っている。
今の段階では諸外国と比べ、比較的日本は安定した生活を得ることができるが、世界では戦争や虐殺、劣悪な労働環境を強いられている人の存在がある。私と世界との距離が近くなった今、世界の問題は私たち自身も考えるべき問題だ。SNSが急速に普及し、世界の状況をより身近に感じることができる今。世界と簡単につながることができるからこそ、世界の暗部を目の当たりにすることもあるだろう。私たちは、自分の国で起きていることだけでなく、世界のことに目を向けるべきではないのだろうか。
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2024年はオリンピックイヤー。世界中がわくわくする平和の祭典、のはずが、世界では戦争がまだ続いている。オリンピックの明るいニュースの裏では、泣いている子供たちがいる。
私は、泣いている子供たちのことを思うと心からオリンピックは楽しめなかった。それに加えて、今回の開会式も世界平和とは程遠いように感じてしまった。
私はスポーツに関して詳しい知識はないが、スポーツに詳しくなくても、ルールを知らなくても誰でも楽しめる開会式や閉会式は毎回観ていたし、どちらかというと楽しみにしていたと思う。だが、今回の開会式は本当に平和の祭典としてふさわしいものだったのだろうか。
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今回衝撃的だったのは、ドレスを纏うドラァグクイーンや半裸、ほとんど全裸といっても過言ではないような青塗りの男などの存在だ。多様性を謳ってはいるが、それらは男性の多様性。もう一つインパクトが大きかったのは、マリーアントワネットの生首、そして血しぶきの演出ではないだろうか。男でアントワネット女王と同じく断頭台で散ったルイ16世ではなく、あえて女性の彼女をあの扱い(しかも彼女は開催国フランスではなく、オーストリア出身だ)にし、しかも平和の祭典というのに血生臭い演出を選び、それをよしとした人が大勢いるのは、まだ女性が現代社会で軽視されていることの現われではないかと思う。
そして、戦争が行われ、罪のないこどもたちを含む一般市民が虐殺されている中で、このようなグロテスクな演出はいかがなものか。戦争がなかったとしても、ほぼ全裸の男や、生首、血しぶきといった演出は安心してこどもたちに見せられるものではないだろう。
性別や国籍、年齢関係なく、オリンピックを楽しむためにはどうしたらいいだろう?
世界が平和になるためには、どうしたらいいのだろう?
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まだまだ世界は不平等だ。
私という人間にできることはとても少ない。少ないが、ゼロではない。
まずは、この世界について知ることが大切だと思う。知ったうえで、何を選ぶかは私たちの自由だ。よりよい世界になるように、小さなことでもみんなが行動すれば、それは大きな流れになり、世界を変えられると私は信じている。
まずは、今日のコーヒーをフェアトレードのものにすることからはじめてみよう。簡単なことでも、些細なことでもいい。一人でも多くの人間が平和を望めば、この世界はきっとよくなる。