「あなた達のほとんどは、卒業後、文化的な一般人になります」

大学の美術コースに入った私たちが、入学早々のオリエンテーションで教授から言われた言葉だ。「文化的な一般人」とは、美術への関心や理解が平均よりは高いものの、美術系の仕事に従事しているわけではない人のことを指す。
何かしらの夢を持って入学したであろう学生に向かってなんてことを言うんだ、と思った。その反面、まあそうだろうな、とも。

私が通っていたのは、国公立の教育大学の美術コース。と言っても、教員免許を取らずに卒業できるためほとんどの学生が取得しないまま巣立っていく、という不思議な大学だった。入試は学科がセンター試験3科目のみで受けられる代わりに、デッサンやアクリル絵の具を使った平面構成などの実技もある。「先生になりたい」よりも「美術を学びたい」で入学する学生が圧倒的に多かった。

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しかし「美術を学ぶにはココが最適だ!」と思って進学した学生はきっとほぼいない。数多くの美大があるなかで、設備も整っていなければ研究室の幅も狭い教育大学を志す理由は、そういう方向性ではない。
では何かと言うと、場所とお金と入試レベルである。北海道で美術系の専攻がある国公立大学はここだけだ。親からの制限があったり、自分で学費を賄わねばならない道内の学生が美術系大学に進もうと思った場合、最も都合が良いのはこの大学だろう。

そのような理由はなくても、わざわざ道外で進学しようとはしなかった学生もいる。あとはやっぱり、本州の美大に落ちた人が後期日程でこちらに受かって来ているケースも多い。

要するに、他の美大に比べると、縛りがある環境下で生きてきたり、慎重派な学生の割合が高いと思われる。そんな学生たちが卒業後、作家やクリエイター以外の道に進んでいくのは自然なことのように思えた。

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大学を卒業して2年半。私も現在は「文化的な一般人」をやっている。

一般企業で働き、制作といえばちょっと粘土を捏ねたりiPadで絵を描くだけ。休日はたまに美術館やギャラリーに行ったりするけど、糧にしよう、みたいな気持ちはほぼない。ただ楽しむために鑑賞するだけだ。

教授の言葉を聞いた大学1年の春は、文化的な一般人になるというのは、ステージを降りるような、美術家から脱落するようなことだと思っていた。実際、そうなのかもしれない。
けれど、2年半文化的な一般人として生きてみて「これが一番楽しいじゃん」と思ってしまっている。仕事して、終わったら飲みに行ったりテレビ見たりダラダラして。たまに気まぐれでちょっとだけ何か作って、見て、また仕事して。こんなの、一番楽しい。
もちろん大学での学びを生かして働いている人はとても素敵だと思うし、そうなれるならなりたかった。でも、私にはきっと今の状態が最適なのだ。

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作家兼美術系大学の教授という文化的な職業に就いていた彼が、あの時どういう意味で「文化的な一般人」と発したのかは分からない。意外と前向きな意味だったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

もし、あの教授に再び会うことがあったら。どちらの意味だったとしても、私は言うだろう。「文化的な一般人、サイコーです」って。