「向こう(ドイツ)に行ったら、右手を挙げたらダメです。何か発言したい時は、ペンか指を立ててアピールするように」

海外研修に参加するための事前勉強会の一幕で、こんな言葉があった。

当時の私は中学2年生。
その言葉を聞いたとき「何故だろう?」と純粋に思った。私達日本人は普段、何かをアピールしたかったら躊躇なく右手を挙げるのに。

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その時1人の学生が手を挙げた。

「何でなんですか?普通のことに思えるけど」

「それはね、ホロコーストっていう大きな事件があったからなの。その歴史があってから、ドイツでは右手を挙げてはいけない事になっています」

そのうちどこかで、学ぶかもしれないね。
そんな事を先生が言った。

先生はそんなことを言ったけど、本当だろうか?
ホロなんとか?事件?そんなにすごいことなの?

普段当たり前に行っている動作も、ると悪い意味を持つことがある。よく分からないけど、その印象だけが強く残っている。

しかも、それは戦争や紛争の無い安全な、学校でちょっと前に習った「センシンコク」とやらで。

それが私とホロコースト、ひいては世界との初めての出会いだった。

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上記の研修後は実際にドイツで2週間過ごし、日本とは全く違った世界で生きることの楽しさを知った。

別の記事で紹介した通り、今でも長く付き合う友人にも出会えた。自分は本当に人に恵まれていたと思う。

この時のことはとても良い思い出である。
でもこの時の楽しい思い出があったからこそ、事前研修で抱いた先生の言葉から抱いた違和感をすっかりと忘れてしまっていた。

この時の私は、別の国を知ることの楽しさしか知らなかった。でも、この平和な世界を作るまでの道のりが、とても大変だったこと事実だ。

世界は決して明るいだけの場所じゃない。
現に今でも戦争は無くなっていない。

そんな現実と共に、私が中学生の頃に抱いた違和感をまた思い出すのは、大学生になってからだ。

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ドイツ滞在原体験、私は大学では留学すると決めていた。それは、異国の文化の中で自分の力をもっと試してみたくなったから。大学合格後は交換留学を目指して勉強し、無事にスウェーデンへ留学した。

この留学で私はまたホロコーストに出会うこととなる。

それは現地の大学で受けるための授業を探していたある日のこと。
シラバスを見ていたら、ある言葉が引っかかった。
それが「Holocaust (ホロコースト)」だった。
なんだか読んだことがある言葉と共に、その時初めて中学生の時の記憶が蘇った。

そうだ、これをやってみたかった。
私があの時抱いた、「世界の後世の人の行動にまで大きな影響を与える負の歴史とはなんなのか」という純粋な興味を追求する時だ。
何となくそう思った。

そこからは私は留学期間中ずっと、さらには留学後の卒業論文までホロコーストの研究を続けた。

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ホロコーストは、ご存じの通り第二次世界大戦で行われたユダヤ人や様々なカテゴライズに当てはめられた方々が大量虐殺された事件を総称して指す。

ヨーロッパの様々な国々で行われていたことから、ヨーロッパでは負の歴史として知られている。そして、その後の国際社会でも大きな影響を与えている。

そういう意味では、いわゆるグローバルスタンダードと言われるものかもしれない。また今のイスラエルとガザの戦争にも通ずる歴史である。

それを本場のヨーロッパで学ぶ事ができた事は、個人的にはとても幸運だった。

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私はホロコーストを学ぶ中で、気づいたことがたくさんあった。

その中の一つが自分の中の偏見の存在に気づいたこと。

歴史的に見ると長年ヨーロッパの中で積み重ねられてきたユダヤ人に対する過度な偏見も、ホロコーストを引き起こす原因の一つになっていた。

でも、この偏見自体は私たち一人一人の中にも必ずある感情なのだ。

例えば外国人観光客は「みんな」〇〇だとか、男性は「みんな」〇〇なんだみたいなものって、誰しもが心の中で持っている。

でもその感情は何となく思っている、あるいは個人の根底にあって普段は分からない。
でも誰かと対話し、違う視点を得た時に各々が自分自身にこんな問いかけをすることはできる。

あるカテゴリーの人に対する自分のイメージが行き過ぎていないだろうか?

多くの人が思っている偏見を歴史的な文脈も含めて誰かが利用したら?(今の世の中はそうなりそうなのか、どうなのか?)

ホロコーストの悲惨さを知っているからこそ、自分にそう問いかける事が増えた。

日本ではない世界で起きた事件だけど、自分の身近なものに置き換えても分かることがある。ホロコーストはその視点を私に与えてくれた。

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歴史を学ぶ中で重要なことの一つに、過去を学ぶ事で現在起こっている事象との共通点を見つけ、現在や未来に活かすことが挙げられる。

私達はこの歴史から何を学べるのか、振り返る必要がある。世界中でまた戦争が起きている今だからこそ、そう思う。

いつかこの世界が平和になりますように。
私が世界に興味を持ったように、歴史を知って何か未来に活かせる人がもっと増えますように。
ありきたりな言葉だけど、そう願わずにはいられない。