マッチングアプリ。今でこそそのような呼び名として世間にはびこっているが、かつては出会い系と呼ばれたそれである。

呼び名は違うものの目的は同じ。逢瀬である。無論、友達探しだってできるし、マイノリティの方向けのものもある。便宜上、あるいは、一般的に、そういった目的であるというだけだ。

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若者であれば10人に2、3人は使っているというマッチングアプリは、リアル世界にかなり近づいてきているように感じる。
出会い系の時代では、顔も素性も知れないインターネット上の人物と出会うなど、あまりに愚かで危険な行為だとされていたように思う。

だが、そんな出会い系の時代でも、救われるような出会いがあったりするものだ。

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数年前、長年付き合った恋人に振られてやけになって、出会い系サイトに登録した。
マッチングアプリもそこそこ有名だったが、当時田舎に居住していたため、知り合いとマッチすることを極力避けるべく、顔も名前も非公開のサイトを求めていた。
あの人じゃないならもう誰だって同じだった。

マッチングアプリと勝手は同じで、メッセージのやり取りから始まり、親睦を深める中で通話を経て、ゆくゆくはリアル世界で落ち合うというのが主だ。
そこで出会ったけいちゃんとも、同じ過程をたどった。

「なんでこんなのに登録してるの?」
「恋人に振られたから」
「あ、分かる。同じ感じだ」

「仕事おつかれさま」
「ありがと、辞めたいわw」
「やめちゃえ」

ありふれた会話。流れゆく日常。
どちらからともなく”会おう”とすることは必然だったようにも思う。

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特別な感情はなかった。
会話のペースが心地よかった。
寂しいと言ったら着信をくれた。
丁度よかった。

ただそれだけだった。

交通費も宿泊費も、そこでのお食事代もすべてけいちゃんに出してもらうくらい、あまり良いとは言えない意味でわたしはけいちゃんに気を遣ったことがなかった。

でもその程度が良かった。
”わたしのためにこんなにしてくれる”
そういう承認欲求みたいなものでなければ満足できなかったのかもしれない。

それでもけいちゃんは、わたしに連絡をくれ続けたし、誘い続けてくれたし、会い続けてくれた。

傍から見たら、普通にカップルだったと思う。
食事はもちろん、映画を見に行ったり、まったりゲームをしたり、手を繋いだり、抱き合ったり、2人で年を越したり。
ただ付き合うとか付き合わないとかそういうことばでの契りみたいなものが無かった。

でもそこに、わたしが死なない意味があった。
ご飯を食べて、遊んで、温もりを感じながら眠る。
存在を誰かに認めてもらえる。未来が約束されている。
そういう日常をけいちゃんはくれた。

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けいちゃんと出会って半年くらい経った頃、元恋人と復縁した。
だからわたしは、けいちゃんに連絡することをしなくなった。何かのタイミングで彼の方から連絡が来たときに「復縁したのだ」と報告をし、また何かのタイミングでブロック・削除をした。
わたしなりのけじめであり、覚悟だった。
そうやって自分勝手な都合で簡単に関係を切れることや、そういう関係を築けることもマッチングアプリ特有かもしれない。

たった半年間だけ。夢みたいな、蜃気楼みたいな、気が付かないうちに思い出せなくなってしまいそうな時間と関係だった。
でも、けいちゃんとの日常には確実に意味があった。

満たされていたから、後ろめたい。
でも後悔はない。

あの時はありがとう。