私は未だに正しい勉強の仕方がわからない。
それはこれまで定期テストのためだけに勉強を頑張ってきたために、引き起こされている事象だと思っている。

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中学生の間は定期テストのための勉強ばかりしていた。
一夜漬けしたことも二度三度のことではない。
知識として定着することはおろか、学問として学んだ覚えが全くない。
中学生で学ぶことは高校生で学ぶことの基礎であり、大学生でも使う知識だった。
素直にもったいないことをしたなと思う。

高校生になると、定期テストの勉強に模試の勉強が加わった。
しかしまだテストのための勉強をしていた。

一方大学のテストでは、レポート形式が多かった。
ノート持ち込み可のこともあれば、授業でやったこと以外のことも出題された。
一問一答の答えよりも、授業で学んだ知識を使っていかにそれを応用できるかを問われている問題が多かった。

高校生までの定期テストとは違い、一夜漬けでどうにかなる問題ではなく、当たり前だが、授業もしっかり聞かなければならない。
レポートの試験で全く違う答えを書いてしまうと、せっかく学期間毎回授業に出席したとしても単位を落としてしまう。その恐怖があった。

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高校生までとは勝手が違うことに戸惑いつつも、大学ではやりたい勉強ができた。
希望の学部に入れたことが一番大きいが、一般教養の授業でも自分が興味のあるものだけを選択することができた。

興味があることを学べるので、勉強することは楽しかったし、興味があることを糸口にして、さらに勉強意欲が高まったこともあり、課題も苦にはならないこともあった。
これまで知識と知識の点と点だったものが繋がった感覚とはこういうことかと思った。

振り返ってみると、総じて高校生までは板書の取り方が下手くそだった。全くもって無駄なことであると今ではわかるのだが、きれいにノートを書くことを意識していて、黒板に書かれていない先生が喋ったことの方が重要であることも多々あったにもかかわらず 口頭での説明はあまりメモが取れていなかった。

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それでも大抵のテストは板書の内容と問題集を復習することで乗り切ることができた。しかし、新しい内容が出てきた時にうまく情報が組み合わせられず、理解が深まらなくて苦労した。

ちゃんと自分の知識として定着していないと、特に数学ではもう習ったこととして進むので、内容がちんぷんかんぷんになることが多かった。そして分からない前に習った内容の復習に時間をかけることとなり、知識を深めるということに繋げられなかった。
分からないから勉強が嫌いになりかけた。

大学生になって 教授が板書をしなくなったことで、喋る内容をメモを取るようになってから 内容の理解や、派生する知識を得ることができるようになった。

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社会人になった今、私は語学の勉強をしている。
仕事で使うからというのもあるが、自分の世界を広げるためには語学が必要だと思っている。自分のために勉強するのは楽しいと知った。

本当は資格を取りたいが、資格を取るための勉強に本腰は入れられていない。
テストや試験、点数や合格のために勉強するのではなく、自分の楽しみのために勉強する今が楽しい。

色々な勉強法を試してみて、自分に合うものを探す、その過程ですら楽しいと思う。
テストでいい点を取るということに執着しない勉強の楽しさを社会人になってから知ることができた。