「経験は生きる力の源」これが私の座右の銘だ。

何事も経験しなければわからない。結果が良くても悪くても、経験することに意味がある。経験することで次につながる。経験したからこそ気づきがある。経験することそのものが大切だ。そして、経験で得たことを今後どう活かしていくか、これがその先の自分自身の成長につながる。

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そう教えてくれたのは2つ歳上の姉だった。

姉は私のみちしるべだった。姉は私の行くべき道を示してくれた。勉強もピアノも習字も全部姉のやっている姿を見てやってきた。姉はどれをやっても良くできた。特に大会や舞台に立つ時は、堂々としていた。輝いていた。しかし、私は姉と違った。緊張してしまい、舞台の上で頭が真っ白になり、失敗することもよくあった。姉はかっこよかった。憧れだった。時に羨ましく感じることもあった。でも、それを上回るほどの尊敬と愛があった。

だから私は姉の隣にいることが嬉しかった。ピアノで一緒に連弾をした時、同じ舞台に立った時、同じ大会に出た時、ライバルでもあり戦友でもあった。共に歩み戦う中で、複雑な心境の時もなかったわけじゃない。でも、そこに姉がいたから私もいたんだと思う。姉を追いかけ、姉のいく道を共に進む。それは私の中で誇りだった。

小中高とずっと姉を追いかけ続けてきたが、学力差があったため、私は姉と同じ大学にはいけなかった。

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大学生になった私は1人になった。追いかけるものがなくなった。私はふと思った。私に何が残ったんだろう。そして私はどこへ向かえばいいのだろう。考えてみれば、追いかけてきただけで、姉よりも良い結果を残せたことは少ない。緊張して本番に力を発揮できない私は、堂々としている姉のレベルには到達できない。私はただの姉の模倣人間だった。

追いかけてきただけの人間。私は受動的に生きてきてしまった。だから自ら動くことを恐れた。知らないから。誰かの真似ではなく、自分で始めたことで失敗することが怖いから。人の真似をして失敗するのであれば、人のせいにできると心の片隅で思ってしまっていた。失敗の言い訳ができると、どこかで逃げてきた。でも、自分でやろうと思ったことで失敗したら、それは、自分のせいでしかない。それが怖かった。

あんたの意志が弱いから、計画性がないから、練習不足だから……失敗した時に浴びせられる負の言葉はいくらでも見つかった。傷つくことが怖かった。傷つきたくなかった。

小さい時にもっと失敗する経験を積んできたらよかった。今更新しいことに挑戦して失敗したら、子どもだからという理由では許されない。失敗して取り返しのつかないこともあるのではないだろうか。不安が大きくなった。

そんな不安な気持ちが溢れる中、姉は私とは違う道で経験をどんどん積んでいった。姉はうまくいかないことがあっても先へ先へと進んでいた。やはりかっこよかった。姉は年齢など関係ないと言わんばかりに精一杯生きていた。そんな姿を見て思った。

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今、止まっている時間がもったいない。

周りの目や言葉を気にして、年齢のせいにして、何もせずに止まっている今の時間こそがもったいない。そう気づいた私は、気になったことはやってみようと試みた。ミスコンに出たり、地下アイドルの研究生になったり、エッセイを書いたり、折り紙で大きな作品を作ってみたり、姉がやらないようなことにも挑戦してみた。失敗続きだった。でも、やったからこそ気づけたことがたくさんあった。挑戦することは、大変だけど楽しいこと。自分にはできない、やったことがないからわからないと避けてきたことにも挑戦することで、新しい自分が見つかること。初めから限界を決めているから越えられない壁があったこと。多くの気づきで私はまだ成長できると思えた。

やったことがないからできない。それはみんなそう。
みんな初めての経験を積み重ねて成長している。

「経験は生きる力の源」
私はこれからもやりたいことに、とことん挑戦していくんだ。