「フランスで医療を勉強する!」
高校の頃、そう宣言した同級生がいた。その距離、1万キロ。飛行機でも半日以上かかる。どうしてもその大学で学びたいことがあったらしい。彼女は受験勉強の傍ら、フランス語を勉強して見事、第一志望の大学へ進学を決めた。
彼女を筆頭に、私の周りには学びたいという強い意思をもって大学へ進む人たちが多かった。そのためには浪人も厭わず、時には留学もして。そんなお金も熱意もない私にはひたすら彼女たちが眩しかった。
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そんな私はと言えば、なんとなくお金が好きで一人暮らしがしてみたいという不純な動機から自分の学力で行けそうな地方国立大の経済学部に現役で滑りこんだ。
大学に入った方が選択肢が広がるかな、親がお金を出してくれるから大学に行こう、と軽い気持ちで大学に入ったものだから、大学での勉強はそこまで熱心ではなかった。授業には毎回出るし、提出物も出すけれど、どれも惰性で、毎回評価は普通。どこにでもいる、今時の無気力な若者。それが私だった。
そんな大学生活も新型コロナウイルスで更に無気力なものになった。家から一歩も出ず、教授の録画講義を二倍速で見ながらスマホ片手にインスタを見る。テストの点は取れるし少しずつ面白さも解ってきたけれど、高校の同級生のような熱意はないまま、進路を決める時期がやってきた。
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進学と就職。高校を出た段階では大学卒業後は就職だと思っていた。でも、周りの同級生たちが院進学の話をしているのを聞くと、大学院に進むのもいいかも? とか流されやすい私は思うようになった。しかし、その気持ちはすぐに離散した。卒論に手をつけた時点で「私には研究は無理だ」と悟ったのだ。知識を詰め込む、高校までのお勉強は得意だったけれど、何かを探求するという学問は私には向いていなかった。
貪欲に学んでいく同級生たちに羨望を抱きながら、私は通信系の企業に就職を決めた。私は文系だし……老後にいつかそのときが来たら大学院にまた入ればいいし、と思いながら私は学びに別れを告げた。
その「いつか」は、早かった。新卒一年目の夏には「やっぱり大学院入りたいな」と思うようになっていた。早い。早すぎる。ビックリするくらいの変わり身の早さである。
会社に入ると、思った以上に大学院卒の人が多かったし、社会人大学院生も思った以上にいたのである。そして、仕事をしていく中で関連する情報通信系の勉強がしたい!と思うようになっていった。
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熟考の末、社会人一年目が終わろうかという頃に放送大学の聴講生の申し込んだ。聴講生にしたのは、決断をしたときには本科生の受験時期が過ぎていたという理由が一つ。仕事と大学院の両立は難しいだろうという判断が一つ。そして雇用保険加入から一年が立とうとしていたために教育訓練給付制度が使えるようになっていたからである。お金が好きな私には渡りに船だったのだ。
聴講生は願書さえ出せば入れる。そうして私は晴れて大学院生として授業を受けている。一年だけだが社会人として働いたことによって学生の頃とは学問の見え方も変わった。あのまま進学していたら理解できなかったであろうこともなんとなくわかるようになった。社会の仕組みやお金や仕事の流れ……読むだけではわからない、仕事の現場の空気感を学びと結びつければするすると頭に入ってくる。逆に仕事で直面する事象は大学院で学んだことだったということもあって、学術的、体系的な知識は大いに役に立った。
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学び初めて半年が経った今もあの頃の同級生たちほど熱意があるかと問われれば否と答えるだろう。でも社会に出てから学びなおすのも遅くない。むしろ社会に出たからこそ見えてくるものがあるし、湧き出る欲求もある。
それに私は自分の力(と書いて稼ぎと読む)で立ちながら、学んでいる自分が結構好きなのである。
当面の目標は大学院の本科の入試だ。大学4年生の頃はあんなにうなっても見つからなかったのに、今は研究したいと思えることもできた。合格して修士論文を書けるように、丁寧に丁寧に頑張って行きたいと思う。