何かを見て心がキュンと動いた時、ほとんど反射的に「かわいい!」という言葉が口をついて出てきます。私にとって「かわいい」は、絶対的にポジティブな言葉でした。「でした」と過去形になるのは、今は違うから。自分が「かわいい」と言われた時から、「かわいい」は複雑な気持ちになる言葉へと変わったのです。
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大学生の頃、初めて異性とお付き合いをしました。中高6年間を女子校で過ごした私にとっては、異性と深く話すのは初めてのこと。「かわいい」という言葉の受け取り方が複雑になったのは、この頃からでした。
「あなたって、かわいいよね」
「あなたって、ほんとにかわいくない」
何気なく放たれる言葉に、私の心は揺れました。「かわいい」と言われたいわけではありません。「かわいい」と言われてもなぜかモヤモヤし、「かわいくない」と言われても、何だか釈然としない気持ちになる……。「かわいい」と言われても言われなくても、心が揺れ動いたのです。自分でも、この感情の波が何なのかは、よく分かりませんでした。
「かわいい」は、自分が発する時は完全にポジティブな言葉。でも、彼から言われるとモヤモヤするのです。結局、その正体は分からないまま、この時の恋人とは別れ、今もパートナーはいません。よって、私に対して「かわいい」と言ってくる異性はいません。
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でも、異性との会話自体は、なくなったわけではありません。恋愛感情抜きでの異性との会話は、清々しいものでした。その時に、はたと思い出しました。元恋人が「かわいい」とか「かわいくない」などと言ってきていたことを。
友人たちと元恋人との違いの一つは「かわいい」と言ってくるか否かでした。「かわいい」と言われないからこそ、私は彼らとの会話を心地よく思っているのだと気がつきました。
恋人とお付き合いしていた頃、「かわいい」はよく使われる言葉でした。それは彼が私をジャッジする時の言葉だったのだと今は思います。彼にとって都合のいい状態か否か、彼にとって好ましい姿か否かを判別して発せられる言葉だったのです。
「かわいい」「かわいくない」の裏にある彼の想いを何となく感じとっていたからこそ、私は「かわいい」と言われても「かわいくない」と言われても、心に波風が立ったのでしょう。
「かわいい」と言われる時の私は、必ずしも私にとって「いい」状態や姿ではありません。それを「いい」ものとして判断される時、モヤモヤしたのです。「かわいくない」と言われる時の私は、必ずしも私にとって「悪い」状態や姿ではありません。それなのに「悪い」と判断が下されるから、私は釈然としない気持ちになったのです。
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この先、自分に対して「かわいい」「かわいくない」と言ってくる人がいたら、私はその裏にある感情や思考に敏感になる気がします。あの時の不快感の謎は、もう言語化されたのです。人をジャッジする言葉として発せられる「かわいい」にも「かわいくない」にも、もう関わりたくないと思います。
逆に、純粋に「かわいい!」と言えるものたちに、もっと触れていたいと思います。それは、小さい子どもや動物、愛くるしいキャラクターたち。彼らへの「かわいい」は存在への賛辞です。その言葉を発している時の私も、私の周りにいる人も、きっと、心から笑っていることでしょう。
でも、私は「かわいい」とも「かわいくない」とも言われたくないのです。女心は難しいなんて言われたくもありません。そんな風にジャッジされたくないと思うのは、人間として当然の感情ではないでしょうか。