『かわいい』の定義はなんだろう、とまず考えてみる。
顔面偏差値?ファッション?愛嬌?雰囲気?

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これらの定義に私が当てはまるものがあるかと問われると、正直怪しい。
ということは、私は『かわいくない』のだろうか。
もし私が『かわいくない』と評価されたとしたらどうだろう。私が思うに、『かわいくない』私が存在するだけではないだろうか。もう少しつけ加えると『かわいくない』けど素敵な私が存在するだけだ。
『かわいくない』けれど、『綺麗』なのかもしれない。『凛々しい』なのかもしれない。 『爽やか』なのかもしれない。どれも『かわいい』と並ぶくらいに素敵な魅力だと思う。

実際、世の中には『かわいくない』けど輝いている人がたくさん存在する。モデルのようなルックスでなくてもスポーツ、勉学、仕事、家庭などみんな別のところで輝いている。むしろそういう人達の方が数を占めているのではないだろうか。彼等は『かわいい』と言われなくても充分素晴らしい人生を送っているのだ。『かわいい』に囚われる必要はない。

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ちなみに、私は『かわいくない』と言われた経験がある。大学生の時、友人に「福々ちゃんはこのクラスの中ではあんまり可愛くないかな〜」と言われた。私たちの視線の向こうには、とても美人なクラスメイト。
「確かにその通りだ」と冷静に思った。普通に悲しかったが。悲しい気持ちにはなったけれど、それほど大きなダメージにはならなかった。「この人には私のかわいさは刺さらなかったんだな」と思う程度だ。     

一方、私は周りの人に恵まれているので『かわいい』と言われる機会もちょくちょくあった。親、友人、親戚、職場の人、夫。彼等の言った『かわいい』はどんな意味を含んでいるのか定かではないが、私には刺さる人には刺さる『かわいさ』があるのだろう。
兎にも角にも、私という人間を肯定してもらっているのだと認識し、ありがたく栄養分として吸収してきた。

おそらく、私にとっては誰が『かわいい』と言うかも重要なポイントなのだと思う。その人が私の人生に深く関わっている人物かどうか。
もしも夫、家族、仲の良い友人に『かわいくない』と言われてしまえば私はとてつもないダメージを負ってメンタルケアの本を読み漁り、何日もシクシクと涙を流すだろう。

対して、付き合いの浅い人達からの評価はあまり当てにしていない。当てにしないように心がけている、の方が正しいが。先程登場した大学時代の友人がその1人だ。

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なので冒頭で言ったように、どうにもならない。変わらない。
現在、私の心の中に『かわいい』ポイントが100貯まっているとすれば、『かわいくない』がそこに1つ加わるだけだ。100の『かわいい』が99に減るわけではない。過去に『かわいい』と言われてきた事実は変わらないので。

それに、私の心の中には周囲の人から贈られた『かわいい』以外の沢山の嬉しい言葉が蓄積されている。『素直でいい子だね』『笑顔が素敵』『品があるね』『優しいね』『大好きだよ』。
仮に『かわいくない』ポイントが100に到達したとしても、へこたれることはない。

皆様も、他人からの『かわいい』『かわいくない』に振り回されず自信を持ってほしい。
『かわいい』との距離はほどほどに生きていきたい。