「本屋に寄ると自分の求めるものが分かる。偶然、何か見つかるかもしれない。逆に行ってみて何も感じなかったら、やばいと思った方がいいのかもしれない笑」

この言葉を聴いてドキッとしてしまった。
まさかそんなことを言われるとは…思ってもみなかった。

正確には私個人に対して言われた言葉ではなくて、あるオンライン勉強会の様なもので、尊敬する講師の方がふとおっしゃった言葉だった。すごーく難しい話について行くために必死になっていた時にふっと聴いたもんだから、動揺と必死さがごちゃ混ぜになってしまった。
意識があっちにもこっちにも飛んでしまったけど、でも考えさせられる言葉だった。

最近純粋に私が本屋に行きたいと思って行ったのは、いつだろうか。そして偶然出会ったものに刺激を受けて、その先もずっと付き合った本や事柄って、どれくらいあるだろう。
仕事がら情報を仕入れたり研究したりするために行くことはあるけど、本との偶然の出会いを求めて行ったのはもう何年も前のこと。同じコーナーや場所にしか行かないから、もちろん偶然新しい分野の本に出会うことなんてない。

本だってビジネス書を読むことが最近多いけど、小説とか感動できる物語に出会ったのっていつが最後だっけ?そして多分、私の好きなものって私自身が分かってないのでは…⁉︎
本屋と偶然の出会い。
その関係性から思考を広げた時、今の生活にふと疑問を感じた。

◎          ◎

現在の私たちの周りは、偶然何かに出会うこと自体少なくなっているのかもしれない。
スマホで検索する情報。タグ付けされたカテゴリーに、ネットで出てくる商品のランキング。望んでいるものなら、大抵のことは手に入る時代だ。気になるメイク道具があればすぐポチれる。マッチングアプリでも見た目や性格が好みな人に会いたければ、スワイプし続ければ見つけられる。
誰かが良いと言っている物にすぐ当たれるし、自分が欲しいものにすぐアクセスできる。私たちは前よりも、より確実で分かりやすい安心できるものを求めている。検索できる方が効率的だし、変なもの、不確定なものに心が不用意に乱されないからかもしれない。

でも、こうも思うのだ。
Amazonのレコメンド機能、SNSのおすすめ機能は、結局過去の自分の履歴や誰かのオススメが蓄積されたものでしかない。全く新しい何かに自分から出会いに行かない限り、過去の自分や誰かの履歴の中で生きていくことになると思った(大げさだけど……)。
何となく好きな物だけに囲まれることは一見すると安心感の中にいて心地いい。
でも、本当にそれだけで良いのだろうか。
新しい世界に出会わないのは、なんだかつまらないかも…

その点、実物が並ぶ本屋さんは別だ。自分が気になる分野の横には、全然違うものがいる。思ってもみなかったものに、ぶち当たることもあるのだ。

◎          ◎

そんなことがあってから、私は偶然の出会いや体験もちゃんと体当たりで求める様になった。ほとんど何も予定を立てない、目的地だけ決まっている旅。時々作る無計画な1日。スマホの電源を落として、カフェで街ゆく人をずーっと観察するも良し。
他にも新しいことやったことないことに、下調べも半分くらいでめてチャレンジしてみる。
旅なら、普段なら絶対使わない交通機関をあえて使ってみる。本のまとめなんて読まないで、表紙の気になった全然違う分野の本を買ってみる。やってみたいと思った新しいものは、なるべく躊躇せずにやってみる(ただし、お金がかかり過ぎないものに限る…笑)

そして上手くいって好きになっても、上手くいかなくて嫌いになっても、自分の感情をちゃんと観察してみる。「うーん、こういうものは好きだと思ったんだけどな〜、意外と違うのか…笑」なんて新しい自分に出会えることもある。
ちなみに失敗だって、やってみたら何だかんだでネタになるからOKぐらいの気概で受け止めてみる笑もちろん何かに出会うためには、その時間を捻出するのに効率的にならないといけないこともあるから、メリハリも大切だと気づいた。

効率性と偶然性。
これを上手い具合に混ぜ合わせて生きることが人間にとって生きていくのに幸せじゃないかな…なんて。
ちょっと前とは違う私になるための世界が見えた気がした。