小学生の時に『下妻物語』の映画を観て、主演の深田恭子がまとうたっぷりフリルのついたワンピースやヘッドドレス、デコラティブなロリータファッションに一瞬で心を奪われた。そのお洋服は実在するとあるブランドのアイテムだと分かったけれど、アルバイトもできない年齢だった私はお財布を覗いては涙ぐみ、「自分でお金を稼ぐようになったら絶対にそのブランドの服を着るんだ」と密かに誓った。

◎          ◎

時は流れ、社会人になった私はお給料を握り締めてのショップに足を運んだ。どれもこれも可愛くて、キューン!とときめくアイテムばかりで鳥肌が立った!学生時代のアルバイト代では手が出なかった高級品だけど、今なら買える!恐る恐る店員さんに声をかけて、ワンピースとパニエを試着させてもらった。

鏡の前で自分と対面して、ちょっとポーズを取ってみたりもして、すぐに冷静になった。
私の顔や体型、ヘアスタイルでは、このお洋服は到底似合わない。

その時、なんとなく分かってしまった。私はそのブランドのお洋服を着こなしたかったのではなくて、ちょっと化粧をして髪を梳く程度でそれらがバッチリ似合うような、お人形さんのような存在になりたかったのだ、ということ。お洋服には何の罪もない。し、見れば心踊る。それでも、奥二重を必死にアイプチして、左右微妙にひん曲がったつけまつ毛をつけてまで、頑張ってそれを着たいわけではなかった。

◎          ◎

いやでもせめて、と思って、近くにあった別のブランドのショップに入った。ここもずっと憧れていたブランドで、王道ロリータよりいくぶんカジュアルなアイテムも多い。私はニーハイソックスと、パフスリーブのワンピースを試着した。私が身に着けるとなんとも垢抜けないもったりとした印象になったけれど、文句なしに可愛かった。

見ているだけで胸が高鳴る「かわいいお洋服」を買ったのは、それが最初で最後だ。

◎          ◎

私は小学生の頃から、フリルや装飾を武器みたいにまとってキュートに輝く、そういう存在になりたかった。今になってみれば分かるけれど、私が憧れる存在は雑誌やドラマの中に成立しているのであって、巷に溢れる類ではない。キュートに輝くためには、努力が必要である。そして私は、そこまでの努力はできないな、と思った。

最近の私はといえば、クロゼットにはベーシックなアイテムばかりが並ぶ。「どこに出しても恥ずかしくない」をテーマに社会人のコスプレをしている、と自分を見ていつも思う。白Tシャツやタックパンツを手に入れて、嬉しくはあるけれど、キューン!とはならない。でももちろん、身体のアラを隠せて清潔感もでるので「助かります!」と全力で感謝しているし、好んで選んで着ています。

◎          ◎

納得のいく「かわいい」のバランスは、なかなか難しい。

歳を重ねてフリルはおろか、ノースリーブやハイヒールを手に取る機会が減っていく。その分、アクセサリーや靴下には目がいくようになった。

好きと似合うの違いが分かって、それでも挑戦したいものもあって、失敗と開拓を繰り返している。なんかそういう工夫の繰り返しって、人間らしくていい気がする。

理想のかわいいにはたどり着けなくても、生活の中で試行錯誤する、かわいげ。目指してなるもんじゃないかもしれないけれど、これからはそういう存在に、なりたいかもしれない。