私は、勤め先で諸外国と協働する新規の仕事を担当し、前例がないため四苦八苦しながら推進していた。少し慣れてくると、私には腑に落ちないことが発生していたので上司に相談すると、業務を推進するうえで課題に値しない、と判断された。
その言葉によって私のモヤモヤ感は増大したため、自身で出来ることを考え抜き、大学院での修得が答えを導きだしてくれるのではないか?と思いついた。しかしながら、数年にわたり自身で勝手な理由付けをして踏ん切りがつかなかった。
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40代半ばに入り、年齢だけを重ねたうだつがあがらない社員として職場で違和感を覚えると、会社員としては最低だが自身を押し殺すことが一番楽だと開き直ってしまった。そして、その勢いが大学院入学への後押しとなった。
大学院は仕事と関連性の高い国際協力を専攻したが、アカデミックと営利を追求する事業体の方向性は異なっていた。各国の政治、文化、宗教など史実を学び、抱える課題や現状など膨大な情報量を得ていくと、その内の僅かではあるが仕事に有益と思われることが見つかる。
私は、すぐにフィードバックをした。この繰り返しを行ううちに私のモヤモヤ感は減少し、気づくと自信をもって前向きに仕事に取りかかっていた。
そんな折、部長との面談があり、自己研鑽についての質問があった。私は日ごろ職場では大学院での学びについて話をしていなかったが、仕事にフィードバックしている事実があり有益であると確信していたので触れると、頭ごなしに仕事に直結した結果が出せないものはダメだと言われた。
私は、その否定されたような言葉や、自身の時間を使い自費で学んでいるという派生的なことよりも、学ぶことの辛さ、面白さを体感し楽しんでいたので、笑みを浮かべながら「そうですよね、高尚な趣味でした」と即答した。
見返してやったという気持ちは一切なく、思い切って学ぶ選択をして本当に良かった、と初めて実感した瞬間であり、本来の私がスタート地点に立っていた。そこから私の勉強に拍車がかかったことは言うまでもない。
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私が学びを選択したのは仕事を理解するためと思っていたが、自分を確立する、もしかすると自分探しだったのかもしれない。
大学院は、初期の目的である仕事で活用できる知識を得る機関という範疇を遥かに超え、改めてスタート地点に立つ機会を与えてくれた。さらに、学びは私の人生に彩りを与えてくれる学生仲間との出会い、また予定より2年も遅れたが修了という達成感を味わうことや自信をもたらしてくれた。
ただ、正直なところ修了から数年経た今でも、正解は持ち合わせていない。
現在私は、療養が必要な状態にある。自分が思い描いていた日常ではないが、学びを通じて得た経験が病に負けないメンタルをも築きあげてくれたようである。来年から少しずつ大学機関で学び、研究を深めたいと企んでいる。
今度は、仕事に一切関係しない、本当に自身のための学びである。この学びの先で、どのような自分に出会えるのか今から楽しみである。