あなたは「流行」を追う派ですか?それとも、追わない派ですか?
音楽、映画、ファッション、メイク、美容法、芸能人、テレビ番組、ゲームetc...。流行にはキリがない。
誰かがいいね!と言い出せばたちまちそれに人が群がり、メディアが報道しブームとなるがものの数ヶ月や1年で嘘みたいに離れていく。

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街で流れる音楽はどの曲も消費の波にさらわれないようにイントロがなく、構成が同じように聞こえるし瞬間的すぎてまるで花火のようだ。跡形もない。この間まであんなにあの曲で盛り上がって散々腹出しダンスを踊ってたくせに、物事に対しての愛着はないのかってくらいに自分の承認欲求を埋めるための道具として使っては捨てられていく。

作る側、発信する側にも問題点はあるけれど、消費者側もある程度賢くならなければ変わらない。私達の身の回りには、音や香り、視覚等の技術で良くも悪くも感情を動かそうとするもので溢れている。

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あそこのテナントはまた違う流行を補うための何かの店舗になるし、あそこの商業ビルはビルごと壊されて新しい何かに生まれ変わる。
変わらないものなどない。変化や進歩こそが人類のあるべき姿。それはわかっているつもりでもなんだか突然虚しくなる。

これからの文化はいかにその対象物に触れている間、「エモ」くいられるか、「イケ」て見えるか、小洒落たものに浸れるかという極めて表層的なものに成り代わっていくのだろうと思うと、古い時代への懐古の感情は増していく。勝手に憂いてて草だし、私も洒落た空間は好きだ。

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ディズニーランドも7年ほど前に行ったきりだがその時点でも承認欲求カメラの宝庫であった。夢や欲望のテーマパークだから、それらがあけっぴろげになるのも無理はないのか……。シンデレラ城の前で横たわって行き交う人々に下着を見せながら写真を撮るのに躍起になっていたり、後ろに人が写っている事も気にせずに自撮りをしたり、私がたまたま目にした人達に品性がなさすぎて、本当は楽しむために行ったのに気分が悪くなってしまった。
きっと現在ともなれば呼吸が止まるほどであろう。

「延々と流行という現象を繰り返しては老いていくのか?」などと、私1人が考えても仕方のない哲学的かつ無意味なことを考える。
それに追いつけなければ、もう手遅れになっていわゆる“老害”扱いなのだろうか?

本当にいいものに辿り着くには、本質を見抜く目を養う必要がある。
その目というものは学校教育では養うことは少し難しいと感じる。単に数の多いものや、規模が大きいもの、みんなが言っていることは正しいとどうしても感じてしまうからだ。仲間外れになりたい人なんてまずいないだろうし、群れを追い出されないためにも自然な流れなのかもしれない。SNSなど人の注意関心が数字として可視化されるツールも同様だ。人間はいとも簡単に流されてしまう。流れるプールのように。

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「可愛い」「ビジュがいい」「エモい」「なんかおしゃれ」のもっと奥にあるものを子供達には小さいうちから見てほしいし、周りの知識ある優しい大人が良い文化を教えてやってほしい。
そうしたら、「整形して痩せて美女になって見返してやる」などという、かつての私のように取り留めもない幻想を抱かずに済むし(大概の人は平和に現実的に暮らしているだろうけど)よっぽど人生豊かになってイージーモードになる。

20代のうちに流行と自分を少しずつ切り離して確立し、ラグジュアリーな30代になりたい。おまけに人の言うことを気にしないような太さも欲しい。あら欲張りさんですこと。