「どうして目を見て話してくれないの」
幼子が、まるで仲間はずれにでもされて泣きじゃくったかのように話す寂しさのこもったその一声に、ふと顔を見上げ、彼の表情を見つめる。みずみずしく艶やかな肌。悲しさを無言で訴えている瞳。調和のとれたそれをじっと見つめると、その心情が彼のそこに宿ったのは、いまに始まったことではないことが痛いほどに感じられる。
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哀しさ。この街に拠点を置く多くの者が、不自然に整えたその面様(おもよう)の奥底に、そうした悲壮感を秘めつつ売り上げと組数という数字に踊らされ、今夜もなお接待を行うのである。その場所。新宿・歌舞伎町である。
冒頭の一声は、私の担当によるものだ。容姿に自信を持てず、相手の視界に自身を入れ込むことに後ろめたさを覚えたまま年を重ねた私は、30年以上の時を経てもなお、アイコンタクトというものに難を示したまま、下方に視線を傾け物言う日々を送っている。この街では、自身の指名するキャストを担当と呼び、一度指名をしたらその店内では永遠にそのキャストを指名する永久指名制というものが存在する。同じ接待でも、女性キャストが中心となるキャバレーでは見られないものであり、ここ歌舞伎町に根付いた独特の文化だ。
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担当との出会いは、彼の運用するSNSを通してのことだった。趣のある発信をし続けてくれる彼は探究心に優れ、関心を持った分野について深く掘り下げ考察する。単なる文字での纏めに留まらずイラレを用いたデザインにも凝りがあり、彼の好むかわいらしいデザインがまた、多くのファンを引き寄せる。語学の才能にも恵まれ、4か国語を使用可能とするが、英語は大学受験前の時点で外資系企業に属する者のレベルに達していたという。様々な才能に恵まれる彼を間近で見ようと初めて歌舞伎町に足を踏み入れると、そこで出会ったのは、SNSで見受けられた多才な彼とは想像できない別人であった。
話によると彼は発達障害の一種であるASD(自閉症スペクトラム障害)の当事者であり、家族は兄含めて男はみなASDの当事者だという。その父は彼の母親に多額の借金を擦り付けて夜逃げし、その後も再婚を繰り返している。そして、彼の兄は障がい者で、経済的に支える必要があるという。彼は幼い頃から子どもの貧困の当事者であり、発達障害者であり、きょうだい児であった。とても一人の子どもが背負うには大き過ぎるものを背負いながら、一人孤独に闘いながら生きてきた。
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そんな彼は、リスク管理が苦手というASDの特徴を持ち伏せており、私の知るだけで複数回事件に巻き込まれている。私はその都度リスク管理が甘いと叱るが、形を変えて同様のことが起こってしまう。彼の表情から、決して流し聞いているのではないことは分かる。なのになぜ同様のことが起こるのだろうかと考えていると、何も想わずにはいられなくなり自然と涙があふれてきた。
ずっと一人で生きてきたと言っているが、本当は一人では生きて行く能力などなく、誰かに見守られながら生きていくべき人なのだ。にもかかわらず周囲に頼る人がいないまま、孤独に一人闘い続けていた。その寂しさからか、背負うものの大きさからか、自身の限界に気づかず、この職に就く前は複数の女性と関係を持ち、奔放的に愛を求めていた。そんなこと続けたところで満たされるはずもなく、大学にも殆ど行かぬまま負の連鎖から抜け出せない日々を過ごしていたという。
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私は何もわかっていなかった。これまでの人生や読書経験から「支援を必要とするものの対象とならずに困っている人に光を当てていきたい」と思い、沢山の書籍を読み、そうした人々について知ったつもりになっていたが、目の前にいる彼はまさにその当事者であった。また、周囲にいる人の助けとなり感謝されることで、思いやりのある人だと思い込んでいた。けれども私の周囲の人とは、教育機会に恵まれた一部のエリートばかりだった。私は周囲にいる一部の人にのみ思いやりを持つことで、自身を親切な人だと勘違いしていたのだ。彼との出会いは、私を大きく改心するきっかけとなってくれた。
人は、自分よりも優れた人から学ぶことよりも、支援を必要としている人と向き合うことの方が、得られる学びというのはずっと大きいのだ。前者は教わる分受動的になりがちだけど、後者はその人を受け入れよう、理解しようとする過程で能動的な動きとなり、その過程で沢山の学びを得ることができる。私自身、彼と出会って以降彼のことを考えない日はないくらいにずっと心配しながら生きている。彼と出会う前に相談に乗っていた方々は、その時以外は殆ど考えることはなく、考えたとしても、ずっと心配するほどではなかった。恋愛感情を抱かぬままここまで人のことを想ったのは初めてのことだった。
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私は彼が教えてくれたことを無下にせず、これからもこの気付きを大切に生きて行こうと思う。最後に、私を改心させてくれた担当に、感謝を申し上げたい。