高校を卒業し、1年間の浪人生活を経て、憧れの大学に入学したのが19歳の頃。目が回るほど忙しくて充実していた大学生活を送り、25歳になってすぐにスイスの芸大の大学院生になった。しかし留学生活が始まって半年後、世界的なパンデミックが起こる。留学生活はおよそ1年半。その後1年間の休学期間を経て、中退して完全帰国し、そのタイミングで不眠症を拗らせて心療内科に通うようになった。
そしてゆるゆると始めた就職活動の末、中途採用で大好きなアパレルブランドに就職。海外で音楽家になることを夢見ていた女の子は、およそ10年後、思いがけないところで会社勤めしている。人生ってわからないものだなと、つくづく思う。
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苦手なものは山ほどあった。人見知りで、天邪鬼で、家族以外の異性や年下の女の子と話すのも苦手だった。料理も洗濯もできないし、部屋はずっと汚かった。英語のスペルは覚えられないし、数学なんてもっと苦手。人を思いやることも、気を遣うことも、思い通りにならなければ癇癪を起こすし、勝手に落ち込んで両親に心配をかけることだってしょっちゅうだった。
なんて生きづらいんだ。ずっと絶望的だった。早くこの世界からいなくなってしまえたら、どれだけ良いだろう。ある日突然、大きな猛禽類の鳥にでもなって、この大きな空を悠々と飛び回っていられたら、なんてことをずっと考えていた。
母はずっと「楽器しかできへんねんから」と呆れながら私に言っていた。大切なピアノ、声楽、クラリネット、そして、オーボエ。人生の早い段階で音楽というものに出会えたことは、本当に幸せなだった。大阪の下町の町工場を営む家の次女として生まれた小さな女の子が、最終的には世界的にも有名なオーボエ奏者から、ヨーロッパで直接指導されるなんて贅沢な経験を、音楽は私に与えてくれた。
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今年の5月で、入社して3年目に突入した。家族には「すぐに辞めるだろう」とからかわれていたけれど、何度目かの辞めたい発作を乗り越えて、ようやく安定してきた。これでようやく「楽器しかできない」わけでもないことを証明できた。まあ、全てが全て、完璧に居心地の良いものでもないけれど、安定してお給料は支払われるし、大好きなブランドのお洋服は安く手に入れることができるし、毎日入れ替わり立ち替わりやってくる、世界各国から来るお客さま方との出会いも、割と面白く感じられている。
人見知りで友達がいないと悩んでいた私は、初めて会う人たちと親しげに話せるようになった。自分が売る側の立場を経験したから、あれだけ苦手だった接客されるお店でのお買い物も得意になった。
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実は、あと数日で30歳になります。ここにエッセイを投稿するのも、これが最後。最初に採用してもらった26歳の秋、スイスの学生寮の自室のベットの上で、スマホに文章を書いていた思い出は、今でも覚えています。
あれから4年。留学のおかげで、料理と洗濯はできるようになったし、ドイツ語と英語も話せるようになった。部屋もかなりきれい。社会人になったおかげで、今では異性や歳下の方とも普通に話せるし、姪と甥のおかげで大人としての自覚が少しずつ湧き上がるようになった。歳下の同僚が簡単なことで悩んでいるのを見て「若いからか」と思う程度には、歳をとりました。
もちろん未だできないこともたくさん。相変わらずペーパードライバーだし、恋人ができることもなかったし、数字を数えるのも苦手だし、人間関係を築くのは難しいし。さらに幼い頃は得意だった、想像することや絵を描くことは、最近は集中力が持たなくてなかなかできなくなってしまった。けれど私の最も大切で大好きな音楽は、今でも得意なまま、磨きがかかってさらに大好きなまま。
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生きることは、簡単なことではない。けれど三十路を目前にして、やっとその難しさを楽しめるようになってきた。30代も、やりたいことがたくさんある。充実の20代はとっても楽しかったから、きっと30代はもっと面白い。今からやりたいことリストを作って、10年かけて一つ一つ叶えていきたい。そしてやがてこの命が燃え尽きていく瞬間に「ああ、楽しかったな」と思える人生を、歩んでゆきたい。