今日は久しぶりに友達と飲みに出かけたので睡眠薬を飲むことができない。
あんなに楽しかったのが嘘のように、部屋の中で眠れない私は死にたくなった。

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母さんが今の私を見たらどう思うんだろう。

「友達と飲んできたの?楽しかった?よかったね」
「たばこおいしい?おいしくないならやめたら?」
「すごいね、ドミトリーの部屋ってどんな感じだった?」

話したいことはたくさんある。
母さんの口癖だった、「今日母さんのこと考えてた?」という言葉が浮かび、心の中で「考えてたよ」と答える。

「会いたいから死にたいじゃだめかな?」

と私が質問をすると、絶対に母さんは「だめに決まってるさ」と答える。

「人間死んだらそこで終わり。それ以上でも以下でもないからいつか死ぬんだから早まることない」母さんはいつもそう言っていた。

私は、母さんが世界で一番大切で、世界で一番大好きだ。母さんもそうだった。
「あんたがいるから生きられた。あんたが生まれてきたことが生きがい」って。

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どんなに身内が母さん以外カスしか居なくても、母さんがいたことが本当に大きくて。
私は度々、「母さんがいないと私ダメだわ。母さんが死ぬより先に死にたい」と言うと真面目な顔で、「やめて」と言っていた。

その言葉があったから後追いはしなかった。

父から殺されかけても逃げることができた。
母さんともっと話したかった。お酒を飲みたかった。居酒屋にも行きたかった。仕事をして初任給では私のお金で一緒に旅行に行きたかった。

全部叶わなかったけど、それ以上に母さんからもらったものが沢山あって、母さんと乗り越えた壁が沢山あって、母さんがいてくれたからこそできた夢や希望や楽しみが沢山あって、生きなければ理由が私にはある。

だから、私は死なない。
「ごめんね、死なないよ」なんていないはずの母さんを思い浮かべて心の中で話しかけると、天国の母さんは笑っている気がした。

母さんだって、泣きじゃくる私を抱きしめたいだろう、母さんのことを思って悲しむ私を慰めたいだろう、きっと謝るかもしれない、私もりまと沢山まだしたいことがあったと言うかもしれない。

それでもどうしようもなく"死"という壁が生きている私には高すぎて、大きすぎて、そして母さんはそこに自ら行くなと言うのが優に想像できすぎて、私は生きる道を行くしかないのだと死について考える度に思う。

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明日も目が覚めて、歯医者に行く準備をして、友達とLINEをして、太陽の下を歩く。
半年前の私は、目が覚めるのが嫌で、太陽が昇るのが嫌で、生きているのが嫌で仕方がなかった。

でも仕方ない。生きるしかない。自分から死を選んではいけない。少なくとも私は。
母にもらった命を、母が育ててくれた私を私が殺してはいけない。

文章を書くことで頭を整理し、生きるとう選択を私はベットの中で改めて選ぶ。
私は、今日も明日も明後日も、一年後も、十年後も、母がくれ、大切に育ててもらった命が寿命という終わりが来るまで、天国の母に沢山の土産話を作って生きていく