「やりたいことは20代のうちに」、漠然とそう思っていた。
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なぜなら、結婚したら、子供を産んだら、人生の主役は自分ではなくなると思っていたから。サトシが主役を引退したように、前シーズンの主人公の顔、いざという時に頼れるサブキャラクターみたいな顔をしなくちゃいけないと思っていた。
それもこれも、母に「愛された」自覚があるからだ。この場合の「愛された」は、純度100%の愛で溢れているわけではない気もする。90%の愛に、子は母を嫌いになれない本能が2%と、家庭環境を顧みた時に、自分が同じことをできる気がしないという畏敬の念が8%。とにかく、「家族に尽くす母」を見て育ったので、同じことを自分の子にもしたい、しなきゃいけない、と思っている。
ただ、ここにはちょっとしたトリックがある。私は、母の「家庭に尽くす母」の側面しか知らない。多くの子供は自分が愛されて育ったと思っていて、母が母になる前の人生を知らなくて、母が家庭に尽くしてきたと思っている。
私たち3人を必死に育て上げ、今はセカンドライフを楽しむ母。5人が暮らした家で1人過ごす母を、今の私の価値観では、どこかで可哀想だと思ってしまう。予測される20年近い1人暮らしは、気楽さへの憧れよりも心配が勝つ。
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しかし、母にも20代があった。以前祖母の家を掃除したとき、母の昔の写真が束で出てきた。大学のサークルでスノボに出かけたとか、フロリダ旅行の写真とか、自分と同じように、20代をエンジョイしていたんだなと感じさせる写真たち。
そうか。私が今楽しんでいる、ボーナス後のデパコスとか海外旅行とかアイドルの応援とか、そういうことを母はできなくて可哀想とさえ思ってきた。けれど、母にも同じ時代があって、それらを通り抜けた今、私にはまだ理解できない人生の楽しみを謳歌しているのだろう。そして、40年後に、私もそれに気づくのだろう。例えば、編み物の楽しみとか。そういえば母も言っていた。「編み物だけはハマらないと思ってた」と。
そう気づいたとき、誰かにバトンを渡すために20代でやりたいことをやるのではなくて、自分の人生に登場人物が増えていくだけで、その道は再び分岐するのだと、そして最後まで一緒に歩くのは自分だけなのだと自覚するために、今、やりたいことをやるのだと気づいた。家族や他者の活躍を自分のことのように喜ぶだけでなく、自分が何かを実現することで自身を満たせる人間であれるように。
現に、「普通」や世間に囚われて、今やりたいことを全てやれているかと問われたら首を縦には振れない。勇気がなくて掴めなかった自己実現を、子どもが甲子園に出ることで満たそうとするのは呪いだ。という姿勢を自分に強いることもまた、呪いなのかもしれない。
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20代最大の願いは、心ゆくまで世界を旅すること。しかし、これは同時に最大のリスクでもある。だからまずは小さな実現から、「疲れた」って理由で有休を取ることから始めたいと思う。