人生で初めてできた友だち。
私の最古の記憶はつーちゃん、彼女のことをそう呼んでいた。もう何歳だったかも覚えていない。私の一番古い記憶で、初めて親友と呼べる存在ができたのは保育園生のときだ。
彼女は同い年で、ずっと近くにいた。何をきっかけに仲良くなったかも覚えていないけど、とにかく私の最初の保育園時代はずっとつーちゃんと共にあった。
覚えている限り、彼女は声が低かった。あまり滑舌もよくなくて、独特の発音で名前を呼んでくれるのが好きだった。子どもながらに、私はこの子とずっといるんだろうと漠然と思っていた。
◎ ◎
しかし別れというのは突然やってくる。親の都合で私が引っ越すことになったのだ。
とはいえ、同じ県内の一つ隣の市に越しただけなので、車で会おうと思えば40分程度で会える。子どもすぎた私たちが会うには親の協力が必須だったわけだが、親も親で私たちの仲を良く知っていたので、引っ越したての頃は割と頻繁に互いの家を行き来していた。
私が新しい保育園に入って、新しい友だちができても、しばらくはつーちゃんが親友の座に居座っていた。
明らかに距離ができてしまったのは、小学生になってからだ。言わずもがな、保育期よりも時間の自由がなくなり、学校から帰っても宿題に追われる。土日に遊ぶことも減ってしまい、とうとうつーちゃんと会うことは一切なくなってしまった。
◎ ◎
中学生になったある日、母が冷蔵庫の前で買い物帰りのレジ袋を漁りながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば今日スーパーでつーちゃんを見かけたよ」
宿題から顔を上げて「え?」と聞き返す。聞こえなかったわけではない。聞き間違いだと思ったのだ。
会わなくなってから随分経つ。人間、会わない時間が増えすぎると、互いの間に物理的距離が生じたように錯覚してしまい、ほぼ同じ空の下にいることを忘れてしまう。言ってしまえば、彼女はもう海外に行ってしまったような感覚でいたのだ。
それが、母の行くスーパーにいたと言う。つまり同じ県内にいるということだ。そうか、そうだよな、いるはずだよな。どうして遠くに行った気になっていたんだろう。
「声かけた?」
「かけてないよ。向こうがこっちのことを覚えてるかわかんないし、それに……」
「……何?」
「つーちゃんとこ、離婚して、おばあちゃんと一緒にいるから」
知らない事情に言葉が詰まった。母が言うには、まだ私たちが会っていた頃にも既に危うい状態だったらしい。めっきり会わなくなってからは人伝に離婚したことを聞いていたという。
「つーちゃん、おばあちゃんに引き取られて、なんかこう、あんまり年相応の格好もしてなかった」
◎ ◎
つーちゃんのことを忘れたことはない。例えば、たまたま同じ高校に進学するとか、それこそ県内で一番大きいショッピングモールでバッタリ会うとか、どこかでまた会えると密かに思っていた。
けれど知らなかった事実を知って、それが当時の私にはあまりにも壮絶で、会える希望どころか、会ったときになんて言おうという不安ばかりが湧いてきた。そのとき、私はつーちゃんとの間に、本当の意味で距離ができてしまったことを実感した。
結局、つーちゃんとは会えることなく私は上京してしまった。つーちゃんが今も地元にいるのか、もしくは県外で働いているのか、何もわからない。SNSがどんなに普及しても、私はつーちゃんに関する情報を見つけられずにいる。
会えるなら会いたい。会えたとて、何を話せばいいかわからないけれど、もう私も大人になったから、どこか古びた居酒屋で久しぶりって少し泣きながらお酒を飲めたらいい。