生きているとたくさんの出会いと、その分別れもある。去る者日々に疎しとは言うが、深く関わって今の私に大きな影響を与えてくれた人とはどれだけ久しぶりでも昨日の続きのように話ができるよう関係を維持したいと思っている。

そのうちの1人が、大学時代のルームメイトだ。彼女なしには私の大学生活は振り返れないし、大げさでなく私の人生を変えた可能性がある。

入学してすぐの頃に出会った彼女とは、授業のクラス分けも違えばサークルも違う、周りからはなぜこの2人?と思われるような組み合わせだったと思う。

中高でやっていた部活が同じということで意気投合したのをきっかけに、不思議ととても波長が合った。寮生活だったのでいつもご飯を一緒に食べ、週末は布団を持って私の部屋に泊まりに来ていた。他の誰にも話せない話をするようになるのにも時間はかからなかった。
寮を出てからは1年間ルームシェアをしていたし、お互い違う国で1年間の留学をしていた期間も励まし合い、ずっと近くで支えてくれていた。そんな中でも、冒頭の「私の人生を変えた」エピソードは今でもはっきり印象に残っている。

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全学生に留学が義務付けられている私たちの大学。留学先や時期は、それまで取得した単位、成績などによって決まる。出発する時期によって行ける大学の選択肢が変わってくるし、就活や卒業の時期にも影響してくるので、いつ留学に行くかということは私たちにとってものすごく重要な関心事だったのだ。
その重要な決断の岐路に立たされた私に、彼女は寄り添ってくれた。

私は大多数の同期より単位取得が遅れていたがみんなと同じ時期の出発を目指していて、そのためには無理をしてでも授業を取る必要があった。その「無理をして」取った授業が、本当にしんどかったのだ。高校時代に最も苦手だった科目なのに毎週鬼のような量の課題が出る授業で、拒否反応で吐きそうだった。
その授業を諦めてしまえば、目指す時期の留学開始はほぼ絶望的だった。それがわかっていたから覚悟を決めていたが、それでも予想以上にきつく心が折れかけていた。
学期の最初なら履修変更ができるため、引き返すなら今だとずっと思いながら、それでも諦めきれないまま変更の締め切り日になってしまった。

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答えは出ていなかったが、目先の気持ちとしてはしんどさが勝っていた。ただでさえ自分の実力以上の大学に来てしまったと思い続けてきたんだ、こんなに無理しなくても自分の身の丈に合った大学生活を送っていけばいいんじゃないか……と、逃げのような諦めのような気持ちで、履修中止の申し込みをしようとした。しかし、ふと、彼女なら頑張るんだろうなと思い、とっさに電話をかけた。
彼女は私がその授業で苦しんでいることを知っていて、瀬戸際で迷っていることをすぐに理解してくれた。大学に入って以来の大きな葛藤にどうしていいかわからず涙する私に、頑張ろうよ、同じ時期に留学行こうよと励ましてくれた。彼女だからそう言ってくれると思っていたが、やっぱりそうだった。

信頼し尊敬していた彼女からの言葉で、私はこの先のために苦難の道を歩むことを決めた。確かに苦しかった。毎日夜遅くまで課題に取り組み、それでもさっぱりわからなくて進捗がゼロのまま時間だけが過ぎていき、やっぱり私には無理だと虚無に陥った。諦めなかったことを何度も後悔した。
それでも、結果論にはなってしまうけれど、なんだかんだでやり遂げて単位をもらうことができた。その結果、私は希望の時期に留学へ行き、現地で親友ができ、帰国したタイミングで就活をして希望の企業に内定をもらい、そして現在の婚約者に告白されて交際を始めた。

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あれから5年以上が経った今でも、あの時彼女に電話しなかったら、無理しなくていいんじゃないと言われていたら、ほぼ間違いなく私の人生は変わっていたとつくづく思う。

留学の出発時期が違っていれば行き先はきっと違っていて、得た経験や知見も全く違うものになっていたはずだ。仮に行き先が同じだったとしても親友とは出会えていなかったかもしれない。帰国のタイミングが違っていたら別の企業に就職していただろうし、働き始める時期も違っていたかもしれない。

そして、今となっては婚約者である当時の彼は、別の人と恋愛をしていたと思う。

どんな世界線だったのかを知ることはできないし、それぞれの先でもきっとそれなりに楽しく過ごしていただろう。それでもこれらすべてが全く違った今の自分は想像できない。

過去の選択の全てが今の自分を作っているというのは本当にこういうことだと思う。大学時代の大半を共にした彼女は、楽しかった共同生活以上のものを私に与えてくれた。