あなたは自分のことをオタクだと思いますか?はいと答えた方は理由を教えてください。何をもってして?いつから?オタクの定義って何だと思いますか?
なんてことを聞かれたら、私はめんどくさくてきっと顔をしかめる。めんどくさいことを冒頭から問いかけてしまって申し訳ない。しかし、最近私はこの疑問を野放しにしてはいけないと思案している。
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知り合いに、「自分のことをオタクだと言う人が嫌いだ」と言う人がいる。曰く、「人は誰しも何かしらのオタクなのだ。だからわざわざ自分をオタクと称する人は、そう言うことで自分が個性的で異質な存在であることをアピールしているようにしか思えない」と。その意見を聞いて、素直に納得した。
しかしながら、私の周りには自分をオタクだと断言する人が多い。もちろんオタクという言葉に対して何の思い入れもないノーマルな人間もいる。私はそんな「自称オタク否定派」と「自称オタク肯定派(あるいはノーマル派)」の間にいるため、いつまでもこの問題を無視して彼らと対等に渡り歩くわけにはいかないのだ。
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シャワーを浴びながら、不意にオタク論争について考え始めたのが、このエッセイを書くに至った経緯である。ふと、「私はどうだろう」とシャンプーを泡立てながら思った。
私は、自分をオタクだと思っているし、オタクと言うことに対しての抵抗感はない。よって肯定派だ。でも必要性がないと自ら自分がオタクであることを開示しない。恐らくそこには過去の傷がある。
小学校低学年のときから、私は旧ジャニーズのとあるグループが好きだった。テレビに映ったり、曲を聴くと嬉しかった。けれど子どもというのは残酷なもので、「男性アイドルが好き」というのは、当時では敬遠されることだった。
私の男性アイドル好きに対する村八分は中学まで続いた。少しでも彼らのことが好きだという隙を見せると、オタクだなんだと嘲笑されるから、アイドルが好きな自分をひた隠しにしていた。
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高校に進学して、同じグループを好きだという子に出会って、ようやく私はアイドルが好きと公言できるようになる。オタクでもいいんだと、やっと自分の趣味に肯定的になった。
確かに、人は誰しも何かしらのオタクだろう。でも、多様性が浸透した今のご時世でさえ、キャンプ好きをオタクの枠に入れるのは違和感がある。「私オタクなんだよね」と言われれば、やはり思い浮かべるのはアイドルか、ゲームか、アニメか、二次元や偶像と呼ばれる類のである。
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自分をオタクだと言う人は、過去に傷を負った者ではないか、とシャンプーを洗い流しながら推測した。自らオタクと言うことで、「だから悪口は言わないでね」と「同じくあなたも仲間かな?」の、自衛と模索の両面を持ち合わせているのだと思う。
今までのオタクはどこか孤独だった。今はその風潮がなくなってきているからこそ、距離の詰め方が難しい。ひた隠しにもできず、おっぴろげにしすぎればやはり引かれる。なぜなら、確かにオタクには変人が多いから。証拠はこの私である。
もう一度お聞きします。あなたは自分のことをオタクだと思いますか?何のオタクですか?今度一緒に語り合いましょう。