傘は横に持たずたて向きに持ちなさい、人や物にぶつかるから

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両親共働きで家へ帰るといつも一人だった。年の離れた兄も部活で遅くまで帰らない。
そんな私を親よりも先生よりも真剣に向き合って指導し可愛がってくれたのは、学年が一つ上のお姉さんかなちゃんだった。

出会いは集団登校。
朝の七時半ごろに近所の子供たち同士で集まって、ワイワイ楽しく登校する。
私は誰とも家が近くじゃなかった。
坂をずーっとずーっと登った先が私のおうち。
他の所よりは近いという理由でかなちゃんと同じ班になって毎日一緒に登校していた。

正直その他に同じ班だった子たちの顔も名前も覚えていない。
それぐらいかなちゃんとしか話していなかった。

かなちゃんは聞き上手だった。
私の話を黙って聞いてほめてくれて。
今思えば当時かなちゃんだって八歳ぐらいのはずだ。
だけど酷く大人びていてキラキラしていた。

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かなちゃんは優しいだけではなかった。
ちゃんと危ない時、良くない時は怒ってくれた。

その一つが冒頭のセリフだ。

傘を横向きに持っている私に、「傘は横に持ったら人や物にぶつかるからこうやって持ちなさい」そうってかなちゃんは傘の柄の部分を腕に引っ掛けて地面から浮かせて持った

「朝美ねー」「朝美ちゃんはね」と話し出す私に「社会に出て自分のことを名前で呼ぶと恥ずかしい思いをすることがあるかもしれないから、私にしなさい」そうやって優しく教えてくれた。

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それから数年の時を経てかなちゃんからこんな誘いが来た

「私が入ってる合唱団の公演を見に来てほしい」

当日私はステージでとても楽しそうに歌って踊るかなちゃんを見て、すぐさま親に頼み込んで同じ合唱団に入ることになる。

だけどかなちゃんはその数か月後から合唱団の練習に来なくなった。
どうやら風邪が長引いているらしい。
しばらくして入院したという話を聞いた。

合唱団の練習に半年ぶりにやってきたかなちゃんは車いすに乗っていた。
頭には帽子をかぶって顔も少し丸くなったようだった。

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私は中学年生になった。月のある日のことだった。
学校から帰ってご飯を食べて寝ていた私を母がたたき起こしに来た。

今日の朝かなちゃんが亡くなった。
今からお通夜に行くから制服に着替えなさい。

そう言われて頭が真っ白になった。

かなちゃんが亡くなった?
亡くなるって死ぬってことだよね?
死ぬってつまりもう話せないってこと?

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私がお通夜に向かった時にはもう二十三時ごろで参列者はほとんどいなかった。
奥にたくさんの花に囲まれた笑顔のかなちゃんの写真が飾ってある。
私は挨拶もマナーも何もかも無視して棺の中の顔を確認しに行った。

そこには変わり果てたかなちゃんの姿があった。

父子家庭のかなちゃんはお父さん・叔母さん・おばあちゃん・お爺ちゃんと暮らしていた。
かなちゃんの家は集団登校の集合場所になっていたためこの四人にもすごくお世話になった。

呆然とする私を見てお父さんと叔母さんが駆け寄ってきた。

お父さんは目を真っ赤にしながらかなちゃんの病気の説明と闘病の様子を伝えてくれた。

いわゆる小児がん。脳にできてしまった。
最初は本当に風邪のようだったらしい。

手術ができず抗がん剤治療がすぐに始まったらしい。
髪の毛は抜け落ち体力も落ちていき、酷い吐き気に襲われる。
小さい体にはとても耐えられないような辛い様子だったそうだが、一度も弱音を吐かなかったそうだ。

痛くて苦しくて具合が悪くてしんどかっただろうに一度もきついとも辛いとも言わなかった。

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私はたくさんの人がいるのも気にせず喚いた、汚く泣いた。
何度もごめんなさいと謝りながら。
なぜお見舞いに行かなかったんだろう。
なぜ軽く考えていたんだろう。

最期までかなちゃんはかっこよかった。
私は最後までダメ人間だった。

「色んな薬のせいで、亡くなったのに鼻血が止まらないんだ」

わんわん泣きわめく私に向かって自分も泣きながら状況説明するお父さんを叔母さんが叱った。

「朝美ちゃんはまだ中学生だから、そんな細かく説明しないの!」

私の精神面を案じての言葉だった。

でも私は聞きたかった。せめてどんな様子だったかぐらい聞くべきだと思った。
言葉にほぼなってなかったと思うが入院中の様子を聞けるだけ聞いた、近くの椅子に座ってじっくり何時間も聞いた。

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私はお父さんや叔母さん、おじいさんおばあさんに何度も謝った。

正直、治るものだと思っていたこと。
気になりながらもお見舞いに行かなかったこと。

返ってきた言葉はありがとうだった。

明るく楽しそうに話すのは私の話題が多く、闘病の励みにもなっていたと。
むしろ気にせず私は私の人生を楽しく生きてほしいと。

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私はこの原稿を今も泣きながら書いている。
もうすぐかなちゃんの命日がやってくる。
地元からは遠く離れた土地で生活する中でしくなったとき辛くなった時、かなちゃんを思い出す。

ごめんねかなちゃん、ありがとうかなちゃん。
何も返すことができないままお別れしてしまったけど、私は今でもかなちゃんの言葉に助けられています。
ゆっくり天国で休んでください。本当にありがとう。