人間の感情を表す喜怒哀楽という言葉がありますが、私にとってはそこに「死」が加わります。出だしからいきなり重苦しくて不穏に感じられるかもしれませんが、いつからか当たり前のように自分の中に組み込まれていた感情であるため、個人的にはそこまでおかしなことでもないかなと思っています。

私と同じように考える方が少しでもいればいいなと思うのですが、センシティブな話題ゆえなかなか身近な人には打ち明けることもできないので、ここに書いていくことにします。

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きっかけは社会人になってすぐ、メンタル的な不調をきたし不眠状態になってしまったことです。いつでもどこでも横になればすぐに寝れるはずの私が、一向に眠れない。生活習慣を見直したり薬も服用したりしましたが、状況はあまり変わらず数か月もの間、寝不足の状態が続きました。

眠れないときに頭の中で考えることは大方いつも同じで、明日は仕事だから眠らないといけないのに眠れない、こんなに苦しいくらいなら死んでしまいたい、といったところでしょうか。漠然とした「死」への願望に掻き立てられ、体力気力ともに日々ゴリゴリと削られるばかりでした。

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そんな状況を脱することができた方法が、「死にたい」という感情と共存するということでした。別に死にたいと思ってもいいけど、100%その気持ちに飲み込まれてしまわないようにする。自分の感情を喜怒哀楽+死と考え、他のものとバランスが取れるように、できるだけフラットな感情でいられるように心がけました。

方法としては、死にたいと思うに至った原因をできるだけ分析して、小さく切り分けていきます。漠然とした「死」への願望は、蓋を開けてみれば上司からの厳しい言葉、取引先からの理不尽な要求、残業が続くほどの業務量など、自分ではどうしようもできないことが原因で生まれたものでした。

そこから時間はかかりましたが、自分を苦しめる要素を一つづつ潰していくことで、以前ほど死にたいとは思わなくなり、徐々に眠れるようになっていきました。結果的に会社とはうまくいかず、やめてしまうことになりましたが。

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死への執着は以前より薄くなったとはいえ、定期的にぶり返すことがあります。その度に原因を小さく切り分け、地道に潰していきますがゼロにはなりません。結局のところ、腰痛などの持病や視力の低下のように、「死」という感情と長く付き合っていくしかない、というのが結論です。

逆に言えば、向き合い方さえ工夫するとそれなりにうまく共存していけるものなのではないでしょうか。正直暗い気持ちになった時に、無理に明るくふるまう方が身体と心の乖離が激しくなり、経験上一番ダメージが大きかったです。厄介な感情ではありますが、死にたいと思うこと自体はそんなにダメなことではないように思います。気楽にはいかないかもしれませんが、なるべく気負いすぎず、ゆっくり眠れる日が続くことを願うばかりです。