キーボードをたたく指が、ピアノを弾いているようだった。
以前勤めいていた職場でお世話になったAさん。
年齢も席も近かったため、始業前や休憩中に少し世間話をする仲だった。
◎ ◎
「お子さんはいらっしゃるんですか?」
何の気なしに聞いてしまった。
「なかなかね~」
たったそれだけ。
その日は特に失敗をしたという意識が全くなかった。
「私、不妊治療してるので」
数日後の昼休み、確か有給休暇の申請方法について話していた時にそう明かされた。
責めている口調ではなかった。
それでも、ほんの少しトーンを落とした声に、自分の無神経さを自覚した。
言い訳するつもりはないけど、本当に知らなかっただけ。
しかし私が発した言葉は、確実に彼女を傷つけたはずだ。
なぜなら私も同じ質問をされて傷ついたのだから。
◎ ◎
政府広報オンラインによると、2021年に不妊治療を受けたことがある夫婦は4.4組に1組。
いくらお金がかかるかもわからない。
お金をかけたところでいつ子供ができるかもわからない。
そんな苦しい思いをしているご夫婦が今、日本にはたくさんいる。
Aさんにあの質問した1年後、私たちもまた不妊治療の病院に通っていた。
結婚式や夫の泊まり込みの研修、転勤、引越でタイミングがなかったのもあったが、希望しているのに子供ができない。
渋る夫を説得して検査を受けた結果、精液の数値が低く医師からは「今の数値では自然妊娠は厳しい」「最初から体外受精を考えた方がいい」と伝えられた。
タイミングが悪いことに当時義妹が妊娠中で、義実家は生まれ来る赤ちゃんの誕生に沸いていた。
「子供は可愛いよ~」「(夫)君にはお墓を次いでもらうから男の子がいいね」「(夫)君のところは子供は?」
夫の親戚から何を言われても「子を作れ」アピールにしか聞こえない。
年代的なもので、悪意はなかったと思う。
だとしても言葉の一つ一つが突き刺さるようだった。
夫の精液の質が悪いから妊娠できないのに、なぜ私に言うのか。
子供ができない可能性を伝えておいたのに、次ぐ人のいないお墓を建てるなんて。
私だって、子供が欲しい。
生理がくる度にトイレで泣き、あの日Aさんへの質問を猛省する。
泣く資格はなかったかもしれない。
自らの行いによる、当然の罰なのだから。
◎ ◎
その後ありがたいことに女の子に恵まれ、最近は毎日力強いイヤイヤに悩まされながらも充実した毎日を送っている。
Aさんへの非礼と不妊治療の経験から、私の中で決めたことが2つある。
1つは既婚者に子供について絶対に自分から質問しないこと。
子供は授かりもので、タイミングや性別はコントロールできない。
言われる辛さを知ったうえで、相手を傷つける必要はない。
2つ目は「子供は?」と聞くタイプの人に私の経験をさらっと伝え、やめさせること。
私のように知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまう人もいると思うが、相手の事情や苦しみを知ったうえでワザという人はそう多くない。
かつての私のように、ただ知らないだけ。
少子化が進む今、将来子供は産まないのが当たり前になるかもしれない。
でも、その中でも覚悟を決めて新たな命を望む人がいる。
そんなご夫婦が余計な傷を負わないために、私はできる限りのことをしたい。
ちなみに義祖母からは妊娠中「男の子が良かったって(夫)家はみーんな言ってる」、産後義母からは「次は男の子ね」と言われた。
「うちは夫君が種無しで子供ができにくいんです」そう伝えている。
◎ ◎
夫の転勤で退職して以来、Aさんとは連絡を取っていない。
1年ほど前に別の方と連絡を取った時「Bさんが妊娠して~、Cさんは結婚して~」と職場の現状を聞かせてもらったが、その中にAさんの話はなかった。
子供についてAさんに質問してしまってから4年近く経つ。
あの細い指がキーボードでなく、赤ちゃんに触れていてほしい。
贖罪の気持ちを込めて、ずっとずっと祈っている。