気がついたら、いつの間にかひょうひょうとやりこなしていた。それが、「化粧」。誰に教えてもらうでもなく、ついこないだまで何もしていなかったくせに、まるでそんなことを垣間見せないかのように密かに化粧デビューをする。今や男性でも化粧をする方がいらっしゃると思うが、女性に多くありがちな経験ではないだろうか。

ちなみに、私の化粧デビューは大学入学時。小学生の時、子供用のキャラクターお化粧セットを買ってもらったことがあったけれど、本格的に始めたのは大学生になってから。ファンデーションを塗り、眉を書き……何をどこまでするか特に決まりもなく、皆手探りでやりこなしている。私はそれが不思議でならなかった。化粧をするのがたいして上手くもないのに、雑誌を見たり、動画を見たりしようとはこれっぽっちも思わなかった。

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日々、それほど化粧に必死になっていないのかもしれない。好きか嫌いかと聞かれると「普通」だ。近場ですぐ終わるような用事の時はすっぴんで出かけることもある。

化粧の基本となるのが、「ファンデーション」だと思うが、私はこの「ファンデーション」がどうも苦手だ。そもそも顔に何か塗るという感覚が好きではない。なんとなく、何かまとっている感じがして落ち着かない。ひとたびファンデーションを塗ると、むやみに床に寝転がったりできない。ダラダラできないから嫌なのかという見方もあるだろうが、なんとなく「素」でいられないことに抵抗がある。

しかし、人に会う時や紫外線が気になる時は、日焼け止めと化粧下地が一緒になったようなクリームを使用する。あくまで個人的な感想だけれど、なんとなくファンデーションよりも軽い感じがして比較的使いやすい。とりあえずそれを塗って、化粧をしたことにしている。眉や目、頬などのポイントメイクもしたりしなかったり。その時の気分といった具合だ。

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私がいつも思うのは、人はなぜ化粧をするのだろうかということだ。自己満足のためか。それとも、他人に良く見られたいためか。私は五分五分だと考える。化粧をする際、多くの方が鏡を使用すると思うが、化粧をするうちに密かに変わっていく自分と対面する。この時の快感はたまらない。たとえ、人に会わなくても、少しだけ変身した自分と対面できただけでテンションが上がる。

過去に知り合いの人とこんな話をしたことがある。その人はおもむろに靴下を脱ぎ、私にこっそり足を見せてきた。足の爪を見ると鮮やかなペディキュアが施されていた。その時にその人が放った言葉は、「自己満」だった。なるほど、自己満足でペディキュアをしているのかとなぜか納得した記憶がある。誰に見せるという訳でなく、自分の鮮やかな爪を見るだけで気持ちが上がるということだ。

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もちろん、人に良く見られたいから化粧をするという一面も大いにあるだろう。可愛く見られたい、好きな男性に振り向いてもらいたいといった具合に。そう考えると、私たちは他人の目があってこそ、自分を磨けるのか。自分しか自分を見る機会がないなら、自分磨きの熱はきっと半減するだろう。他人の存在があってこそ、自己を高められる一面もどうやらありそうだ。

化粧とは自分を他人にどう魅せるかを自由自在に操れる便利な手段だと思う。時折、街中で不自然な化粧をしているように感じる人に遭遇することがある。全く見ず知らずの人なら、すれ違ってその場で終わりだけれど、関わりがあるような人の場合、困ることがある。しかし、あくまで私は不自然だと思っただけで、相手はそうと思っていない可能性だってある。なぜなら、化粧のやり方に正解などないからだ。そういう理由で、化粧に関して私がとやかく他人に口出しする筋合いはないと自分に言い聞かせている。

これから年齢を重ねるにつれ、化粧がますます手放せなくなっていくのかもしれない。しかし、人間として老いは避けられない。化粧とは、しばし長いお付き合いになりそうだ。