もしかすると私たちはずっと仲が良くなかったのかもしれない。中高時代に出会った彼女についてそう思うのは悲観ではなくて、私の中の真実だ。

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「誰も私を知らないところに行きたい」「どうせ私の事なんか誰もわかってくれない」「でも誰かには自分をわかってほしい」といった時限爆弾のような感情を抱えた中学一年生の私に寄り添ってくれたのが彼女だ。

同じ部活で毎日顔を合わせて楽器を練習して。音楽や家族の悩みについて何時間も話し合って。時には泣いて。中学一年生の私の心は、それを受け止めてくれた彼女への「好き」でいっぱいだった。ただただ好きで憧れで尊敬していて何より、笑っていてほしかった。私が彼女を幸せにしたかった。

中学二年生の時彼女が音大を目指し始めた。彼女は練習するにつれてメキメキと上達していった。部活でも、面倒見の良さからか多くの後輩に慕われていた。クラスの友達も多かった。

一方私はそんな彼女に憧れを持ちつつも自分の進路については優柔不断で、何がしたいのかも分からなくて友達も少なく家族とも上手くいかなかった。だからだろうか、彼女が好きなのに気づいたら彼女といるのが苦しくなっていた。

何もない空っぽな自分が怖くて恐ろしくて可愛くて、そんなイライラを彼女にぶつけることしかできなかった。劣等感の塊と化した私はまた「ひとり」を選び自己憐憫に浸って、だんだん笑い方が分からなくなった。

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クラス替えで教室が離れてからは次第に距離ができるようになっていった。彼女はもう相談もしてくれないし困った時に呼ばれるのは私じゃない。私の前で涙を流すこともない。

彼女の隣にいるのは私じゃなくて、彼女の特等席でいたいという私の願いはあっけなく打ち砕かれた。それでも彼女は私の唯一の一番星であり続けた。そして高校一年生の私は部活を辞め音大を目指すことを決め、レッスン漬けの日々を送った。

今思えば、「本物の」煌めきには敵わなかったのだろう。音大を目指して受験対策をしていくうちに、本当に音楽をやりたいのか分からなくなってしまった。先生にレッスンで指摘を受ける度に心が折れそうになって、それでも楽器への愛だけでも練習を続けていたけど、歴史や社会学といった文系大学の分野への興味を断ち切れず音楽に集中できていなかった私を親も先生も見抜いていた。誰かへの憧れだけで続けられるほど甘い道ではないのだと理解し、自分のプライドと折り合いをつけるのに随分時間がかかった。

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現在私は音大生ではなく、ただのどこにでもいる文系大学生だ。音大を目指して、でもそこが私の居場所では無いのだと理解し、憧れの宝箱としての音楽と、プロとして音楽をやっていくことの区別を付けるのに中高六年間も費やしてしまった。

彼女を追いかけて、彼女みたいになりたくて、彼女のように輝きたかった私はもういない。彼女が友人との写真をSNSに上げる度に、私の知らない彼女の一面を窺い知る度に未だに胸がチクリと痛む。

こうしてSNSでお互いの投稿にいいねし合う仲だけど、定期的に会う約束をしている訳でもないしLINEもしない。こう見ると私と彼女は大して仲が良くないのかもしれない。

それでも私にとって彼女は自分にたくさんの気持ちをくれた人。劣等感もときめきも何もかも「初めて」をあなたにもらった。そして私の一番星として輝いていて、ずっと幸せでいてほしい人だ。隣にいるのが私じゃなくても、笑わせるのが他の誰かでも。 愛をもらって、愛を贈れる人が私にとっての「あの子」だ。

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そんな彼女と最近会うことがあって、「澪のこと好きだし私はこれからも一緒にいたい」なんて言われてしまった。私はまだ彼女から愛を受け取れるらしい。自己肯定感の低さなのか、「好き」という言葉を胸を張って彼女に返すにはまだ時間がかかりそうだが、そんな彼女の温かい気持ちに見合う人に、私はなりたいと思う。