あの時のわたしにかけてあげられる言葉はあったのだろうか。
そんなことを考えて眠れないときがある。20歳を超えたくらいから年に1回くらい。

小学2年生のとき、私は自宅の2階から飛び降りたらどうなるかばかり考えていたという記憶がある。

今となっては家族仲は良好すぎるほどなのだが、当時は今ほどではなかった。

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両親は忙しすぎて気が立っていた。
暴力を振るわれることはなかったが、よくわからないタイミングで怒られることがままあった。
私ではなく弟が悪いときには「お姉ちゃんなんだから」「譲らないお前が悪い」など、長女がかけられるテンプレの言葉たちを浴びせられていた。
とはいえ「イライラしてるんだな~」と流せるレベルだった。
私は当時ポケモンのノートに心のもやもやを書き留めていたので、それに書いたらけろっとしていた。

でもある時、どんな文脈だったかももう覚えていないが、「しんでしまえ」と言われたことがある。

幼いながら衝撃的だった。言い表しようのない情動。
そっちが勝手に産んだのに?は????????どういう意味????????と思った記憶はある。

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その言葉を受けてノートに書き殴った内容は覚えていないけれど、何かを書いたときの、あの強烈な感情、筆圧、書いた時の景色は今でも鮮明に覚えている。

それからだ。2階から飛び降りたらどうなるかを考え始めたのは。
当時住んでいた家から引っ越してからずいぶん経つが、景色は脳裏にこびりついている。
「痛そうだな」「ここからじゃ多分死ねずに寝たきりだな」「おじいちゃんとおばあちゃんが悲しむな」など、いろいろ考えて結局実行に移すことはなかったけれど。

あの時の私は本当にどうかしていたと思う。本当にそこで色々考えて踏みとどまってくれてよかったなと思う。

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もう義務教育が終わってからですら10年以上も経っているのに、未だに思い出すと何とも言えない気持ちになる。

だからこそ、「あの時の私にしてあげられることはあったのだろうか」という疑問が頭をもたげると眠れなくなる。
あの時の私の延長線上に今の私がいるからこそ、考えてしまう。
職場でパワハラまがいの扱いを受けて、また「死」が頭をよぎるようになったからかもしれない。

どれだけ考えても、あの時の私にしてあげられたことはなかったと思う。
今の私は過去の私を抱きしめてあげられないし、相談相手になってあげることもできない。
何を言われても気休めにすらならなかっただろうけど。
「あなたは悪くないよ、生きるという選択をしてくれてありがとう」って伝えたい。

過去の私と今の私の違いは、自分の中で自分と対話できるところだ。
年を重ねていろいろな経験をしたことで、自分と対話して、自分の頭で考えて、時には調べたり、人を頼ることも覚えた。
今の私は私自身を助けてあげられる。今の私は過去の私が頑張ってくれたおかげでここにいる。

眠れない夜もあるけど、過去の私を思い出して頭を撫でてあげる時間だと思うことにしよう。
ありがとう。これからもよろしくね。