人生の中で「なんだかそれって理不尽じゃない?」と感じた体験は、残念ながら割とたくさんある。四捨五入して三十になる年齢なのでそれなりに男女平等だとか、どんな人でも生きやすい社会にしていこう、ノーマライゼーションだと言われ始めた年代が幼少期だった感覚はあるものの、「なんだかこれって平等じゃない」「どうしてあの子は良くて私はだめなの」と感じた苦い思い出は大人になっても心でくすぶり続けるらしく、心の元気がない時に思い出しては未だにくさくさしてしまう。

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「理不尽」という意味も知らなかった小学校への入学前、私は言葉にできないもやもやとした言葉に出来ない思いを既に感じる事があった。それは、私の両親(特に母親)からかけられた「おねえちゃんなんだから」という決まり文句だ。おやつもおもちゃも自分が大事にしたいという思いがあってもなんでも譲らなければダメ、何かもめ事を起こして弟が泣けば理由も聞かずに私にだけ雷が落とされた。

今思えば男尊女卑の根強い家だったのだろう、盆や正月に親戚が集まれば幼い私も台所の戦闘要員に組み込まれてお茶くみやら食器洗いをさせられて座る間もない忙しさを味わっていた。私よりも年上の従兄や大人である父や叔父は好きなだけくつろいでいるのにどうして、と文句を言えば「女の子のくせに口答えするな」と怒られた。その影響で毎年お盆やお正月が近づくと鬱々とした気持ちになり、「私も男の子に生まれてたら良かったのに」と自分の性別を呪った。

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こんな形で疑問をぶつければ「女のくせに」と返される環境で育ったからか、就学する頃には自己主張しない子供になっていて周囲の大人からは「どんくさい大人しい子」という印象を持たれる事が多かった。大人から見ればトラブルを起こさない子だけど、同級生からは「何をしても反撃してこないヤツ」だとみなされていじめやいじりのターゲットにされた。

そんな風に私を攻撃してくる子たちは大抵要領が良くて大人たちからの信用を勝ち得ていたので、私が相談しても「あなたにも直すべきところがあったんじゃない?」と言われたり、「あの子も謝ったんだから許してあげなさい」と諫められたりと求めているサポートとは的外れな事ばかりされ、怒りだったり呆れだったり色んな感情を持った末に誰にも相談せずに無視する、という流れがいつしか出来上がっていた。そんな風に言われる自分が悪いのだと思うようになってからは諦めもつけやすくなった。

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そうやって感情に蓋をしすぎたからか大人になってしばらくした頃、突然心が限界を迎えた。なにも悲しくないのに涙が止まらなくなり、眠れなくなり食欲もなくなって心療内科にかかろうとした時、母親から「家族に頭のおかしい人間がいると思われるだろう。病院になんて行かせないからな」と保険証を取り上げられ、「このままこの家にいたら私は死んでしまう、早く逃げなくちゃ」と目が覚めるような思いがした。もっと早く気づいても良かったのかもしれない。それでも長年吹き込まれた家族は大事にしなきゃいけないとか、長女ならこうして当然だ、という強い思い込みをなかなか捨てる事が出来なかった。

だけど、自分の事を大事にしてくれない人たちに恩返しができるほど私は出来た人間ではないし、強い心も持っていない。だから、逃げることにした。親に意見を言い返す元気も気力ももう何も残っていなかったから。第三者から見れば私は「親や家族を捨てた冷たい人間」なのかもしれない。だけどもう、他人からどう思われようと構わない。自分の気持ちに背いてまで世間の常識に応え続ける必要なんてないと思うからだ。

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私の心をじわじわと壊し続けた「男尊女卑」や「みんな仲良く、家族は大事」の呪い。昔に比べれば弱くなってきたと言え、未だにそれに縛られてしまう人はきっと少なくないだろう。自分が自分らしくあり続ける為に戦う事はもちろん素晴らしい。けれど時にはそこから逃げる事も大切な戦法のひとつだと思う。話の通じない相手に心を砕き続ける必要なんてない。自由になる為に自分ファーストの考えをもって行動できる人、それを批判しない社会が当たり前になって欲しい。