心細さと、名前だけは立派な覚悟を抱えて腰をかけた神社の階段に、また腰をかけている。
アラサーと呼ばれる部類に入り、ちょっと焦ったふりをするために入れたマッチングアプリで出会った彼は、海上自衛官だった。たくさんの検索項目の中でせっかくだからマッチョがいいと絞って検索し、足跡をつけたところ猛烈なアタックを仕掛けて来たのが今の彼だ。当時彼は災害派遣中でその休日に連絡をしてきたのだ。自分の方が大変なはずなのに、合間を縫っては、こちらを気遣う文章を送ってきた。数十通のメッセージのやり取りの中で強烈なインパクトだった。それから会って告白されるまでは一瞬。1年の3分の2以上を海の上で過ごす彼にとって陸での時間はわずか。その一瞬一瞬が大勝負なのだ。
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その時私はアプリで出会った人と付き合うことに抵抗があり、すぐにはOKができないまま彼は出航。10日に1回のペースで上陸する度に、猛アタックの文と電話が届いた。彼からの好きだよという言葉にありがとうと返す言葉のやり取りが続いた。
そしてある日、連絡が来なくなった。
2週間が経ち3週間がたち、4週間めにさしかかった。もう好きじゃなくなったのか、どこかの港でいい女性ができたのか、結局好きだの言うのはその場しのぎのいい言葉で、遊びだったのか。いやいや、そもそも告白をOKしなかったのは私なんだからと感情が行ったり来たりしていた。そんな時、偶然にも呉に足を運んだ。広島駅から快速電車で30分。造船の街であり、海上自衛隊の基地がある街だ。もしかしたら、彼に会えるかもしれない。会えなくても、資料館や街を歩いて、海上自衛隊の仕事を知って少しでも彼のことを知りたかった。どんな世界を見ているの?どんな世界で生きているの?何度も心の中で彼に呼びかけながらとにかく歩き回った。資料館も端から端まで見た。
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私は、街がちょっと見下ろせる位置の小高い丘の上にある、神社の鳥居の下の階段に座り込んでいた。たぶん1時間くらい経っただろう。眼下には見たこともないような大きな船が造られている。彼はこの船を簡単に動かせるくらいの偉大な仕事をしている。私の知らない、想像もできない途方もなく広い海で、時々の危険や孤独も1人で抱えて海で生きている。あまりにも違う遠い世界を生きる人のようで心細くなった。
私は何も彼のことを知らない。偶然ばったり会えたりしないだろうかと期待を胸に歩き回ったが、何の収穫もない。偶然なんて早々起きることではないが、それでもまだ彼との運命を信じていたかった。クタクタの体と心を目の前にして、やっと彼が好きなのだと気づいた。もう連絡は来ないのかもしれない。でも、次に会えたなら、次に話せたなら絶対に私から言おう。
「ねぇ、付き合ってくれる?」
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それから1年。また同じ階段に1人座っている。でも、あの時とは違う。こちらに向かってくる人影が見える。私が手を振ると、長い階段もなんのその2段飛ばしで駆け寄ってくる。「久しぶり、おかえり」と声をかける。
「ただいま。何か見える?」と彼が聞く。
私には、あの日の私が見える。
そして、また船に乗って旅ゆくあなたの背中が見える。
造船の街呉。
ずっと昔から長く人が歴史を作って来た街。
戦時中は日本一有名な戦艦「大和」を造り、たくさんの命を海に送り出した悲しい過去も持つ街。
この街は、今もたくさんの海の守り人を、国防の最前線を生む。
この街は、どこの街より、たくさんのおかえりとただいまでできている気がする。あなたと生きることを決めたこの街で、これからもおかえりとただいまがずっと続いていきますように。