私は自分を虐待していた実父に対して住民票の閲覧制限(以下「住基ブロック」)をかけている。私の住所が実父に知られることを防ぐためである。この住基ブロックは期限が一年と定められており、更新制である。私は更新制であることは自治体側の負担軽減のためと説明を受けた。

それはわかるのだが、更新制にすることによって更新手続きが必要になる。自治体側としても更新のお知らせを出したり、来所を伴う手続きに対応したり、更新制であるがゆえの手続きの方が手間なのではないかと思うのは私だけだろうか。

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そもそもそんな制度を使うまでに至った関係性が改善することなどあり得るのだろうか。加害者は被害者にとって一生、加害者だ。加害者は被害者に対する執着というのは常軌を逸している。それはもう被害者にとっては、殺されるか、自分が死んで逃げるか、加害者を殺して逃げるかの三択みたいな状況である。

加害者に対しては「あいつら治る(改心する)わけないじゃん」って思っている。ちなみに加害者側は、自分の思い通りにならない被害者から被害を被っている自分こそが被害者であるという認識になっている人が多いような印象を受ける。

仮になんらかで自分が加害者であることに気がつき、加害者教育を受けたりなどして改心したとしよう。そうしたら被害者の恐怖などの心情を慮って、住基ブロックの措置が続くことを望むだろう。むしろそうじゃなかったら、お前は何を学んだのだ、つまりはそういうところだよ、という話だ。

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こんな感じの実情を踏まえると、なぜ更新制なのだろうとしか思えない。下手をすればうまく更新できず、加害者に住所がバレる危険性もあるというのに。

定期的にお知らせを送り、制度が必要なくなった場合や身分証明書の更新や変更があった場合に手続きすればいいのではないかと思ってしまう。自治体側の事情はわからないから言えることなのかもしれないが。実際、当事者が更新制ではなくしてほしいと署名を行なっているのも見たことがある。

今年起きたストーカー殺人事件の報道で、ストーカーの加害者に対する接近禁止命令にも期限があり、更新制であることを知った。殺された被害者は接近禁止命令を更新しなかったそうだ。普通に生きていたら、加害者側の執念や異常な思考回路、常軌を逸した行動なんて想像もできず、目に見える実害がなければ延長をしないのも不思議ではない。更新制であったばかりに、更新制でなければ失われなかった命だったかもしれないのだ。

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これを知った時、自分の住基ブロックの更新時期が近かったのもあり、「いかに世の中、わかってねぇ奴らで制度を作ってるかって話だよ」とキレていた。それに対し恋人が「当事者が声を上げることの大切さはまさにそこなんだよね」と言った。

なるほどと納得したが、それはすごく難しい上に、酷な話である。当事者になった時点で、もうそれどころじゃない状態に陥っていることが多い。被害の後遺症で心身に不調をきたし、生活すらままならなくなっている中、声を上げている場合ではないだろう。

声を上げたいと思ったとしても、加害者の存在が足かせになる。見付かったら大変なことになるからだ。私自身、親から離れてめでたしめでたしとはなっていない。生きているというより、かろうじて死んでいないと言う方がしっくりくる日々を送っている。

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ストーカーやDV、虐待などは殺人事件を契機に法律や制度が変わることが多い。これら3つは、殺し殺されの状態になる前にもう被害が発生しているのだから、その時点での被害者支援や制度を拡充してほしい。

生きているからいいだろうという話ではなく、誰かが死んでからでは遅いのだ。もうすでに被害者の人生は狂わされ、生き地獄ではあるのに変わりはない。だからといって殺されるのも、殺してしまうほど追い詰められるのも違う。

加害者教育や治療などの再発防止策を筆頭に制度の拡充、改善の余地はたくさんある。これ以上、血が流れることがないよう祈りつつ、微力ながら当事者として筆を取っていきたい。