私は高校生のときに女子校に通っていた。10年以上前のことだ。そもそも私の地元は男子校、女子校というものが多かった。しかしそれも今ではどんどん合併し男子校も女子校も減少傾向らしい。

教育や男女平等のためと言われているようだが、案外少子化対策のためだったりするのかもしれない。いつか私の母校もなくなってしまうだろう。

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私の通っていた女子校は当時創立100年を誇る歴史のある学校だった。かつては由緒正しい品位ある生徒にあふれ、俗に言うお嬢様が多かったようだ。

一方私の時代は「品位」という校訓は残しつつも、お嬢様というよりは活発でアクティブで、悪く言ってしまえば悪ガキが多かった。悪ガキと言っても授業中に漫画を読んで没収されたり、制服のスカートが規定より短かったり、そんなかわいいものだ。

そんな我々に先生方が口をそろえて言うのは、「昔はこんなではなかったのに」という言葉だ。かつての女子校の生徒というのは、皆が皆スカート丈を膝下に揃えて、悪ふざけ一つもせず、四六時中褒められた生活をしていたのかぜひ聞きたかったがその勇気はなかった。

高校生のピュアな私は、周りと同じように振る舞わなければならないと思う一方、大人が望む通りになれない自分にモヤついていた。今でも思うが、本当の私は一体どっちだったのだろう。当時の私もよく分かっていなかったはずだ。私の脳みそは麻痺し、何かに属することに一生懸命で、心の声を押し殺していた。

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当時私はモデルになりたいと思っていた。しかし片田舎の女子高生にはそんなこと言う資格もないと、ガチガチの頭で考えていた。せめてもの対策で当時の私の狭い世界から浮かないように、嫌われないように、誰からも受け入れられるように必死になっていた。

心の声に従わなかった結果、私は当たり障りなく生活し、特段悪口を言われることなく生きた。モデルにはもちろんなれず、安定の医療職に就き病院で長年働いた。

自分のやりたいことと向き合わず、中途半端に刹那的な楽しみに身を委ね、なんとなく誰かの理想であり続けようとした結果、私は何者にもなることができなかった。自分の人生を歩むことができていなかったのだ。たかが10代で……という気持ちもある。されど10代。あのスポンジのように何でも吸収でき、何にでもなれる貴重な10代を中途半端に終わらせてしまったのだ。

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どんどん移り行く時代の中で、どうやって生きていくのがベストかは人それぞれだし、自分にしか分からない。しかし決して、10年前のかつての女子たちが歩いてきた道を歩むことも、マジョリティに属することも正解とは限らないと、大人になった今理解するということは皮肉なことだ。流行も変われば社会も変わる。女子校がなくなるもそういうことなのだ、きっと。もっと大切なことは自分を理解するために努力することと、自分の声に正直であることだ。

これからの女子たちに宣言したい。他人を気にしてブレーキをかける必要はないのだ。思ったように突き進め。時間は決して待ってくれないので、今この瞬間に自分が自分として生きていける道を選ぶべきなのだ。

誰かの思想のために限りある時間を無為に過ごす必要はないと、女子高生から10年以上経過した今痛感している。きっとそんな固定概念も、男子校や女子校がどんどんなくなっていくように風化されてしまうのだ。

もっとこの事実に早く気がついていれば生きやすかっただろうと思う。だから、これから先の時代を生きる女子たちには、声を大にして伝えたいのである。