私は理系大学生だ。親戚や近所の人達にはよく、リケジョじゃーん、すごいね! と言われる。私はそれが嫌でならない。
もちろん、リケジョに憧れている女の子がたくさんいることも知っているし、周りの人が悪意を持って言っているわけではないことも分かる。それでもやっぱり、私をリケジョという言葉で表現されると、苦笑いで受け流してしまう。
どうして理系女子だけに変な名称がついているのか。文系女子と理系男子はもとより、文系男子にも名称なんてないのに。考え過ぎ? でも、私にとっては大問題で、変えたいことのひとつ。
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一般的に、男子は理系脳で女子は文系脳だと言われている。そして私も、どちらかと言えば文系脳だと思う。このように文章を書くことは幼い頃から好きだし(上手いかどうかは別だが)、レポート課題は結構得意。
でも、数学は高校の頃から苦手で何度もつまづいてきたし、化学も最後まで苦戦していた。ただ、興味がある生物という分野が、たまたま理系だったから、理系に進んだだけ。これも、リケジョという言葉が嫌いな理由かもしれない。
リケジョなら理系脳なんでしょ、数学とかできるんでしょ、という謎のプレッシャーを知らず知らずのうちに感じているのかも。あとは単純に、リケジョという言葉の響きもあんまり好きじゃない。
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とにかく、リケジョという本来褒め言葉として使われることの多い言葉の存在が、皮肉なことに男女格差を象徴しているであろうことは明確である。わざわざ名称を付けることに、女子が理系に行くことは珍しいという古い感覚が表れている気がしてならない。たとえそれが褒め言葉の文脈であっても、あなたは特殊だと言われているみたい。
それに、理系女子を支援するとか増やすとか、そういう取り組みがあることにもモヤモヤしてしまう。なんだか理系女子が特別手のかかる奴みたいではないか。それに、理系女子が増えないのは、もちろん適性というどうしようもない問題もあるが、主な理由は理系として女子がやっていける環境が整っていないからだ。
理系専門職における女性の割合が低い。そこには女性のほうが昇進しにくい、働く上でハンデが大きい、という現状がある。どうせなら理系女子だけを特別に支援するのではなくて、男女に関係なく皆が好きなように選べる社会を作ってほしい。
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10年後に男女格差がなくなっているとは到底思えないし、期待もしていない。なぜなら、今も10年前とあまり変わっていないような気がするから。男だから、女だから。そんな言葉が、まだまだ聞こえる。これはこれから社会を作る私たちが未来に残さないように頑張っていかなければならないと思う。
だけれど、10年後にはせめて、リケジョという言葉が死語になっていればいいなと思う。男子も女子も、好きに進路を選べるように。理系に進んだ女子が、私みたいに肩身の狭い思いをしなくていいように。そして将来、専門職をはじめとした理系分野で活躍する女子が増えるように。私も一理系女子として、先陣を切っていきたい。