現在26歳、98年生まれの私は世間的に見たらいい大人。高卒社会人だったら8年目、大卒社会人だったら4年目の年である。短大入学時に買ってもらったスーツは実家のクローゼットのプラスチックの黒色ハンガーにかかりきっきりだ。
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時間は無情にも流れていき、年齢という数字は何を追求するわけでもない私の人生の薄っぺらさを象徴するだけのものになっていく。
病気や障害を理由にモラトリアム期間がズルズルと伸び切ったラーメンのようにのびているが、きっともっと年をとった時に「あの頃があったから今があってね……」と言えるようになるのだと信じている。今までの自分を観察してきて、未来の自分がそんな楽観的な懐古をするかというと多分しないのだろうけれど、流石にお婆さんになる頃には少し自分に優しくなっていてほしい。
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薄っぺらい経歴と経験で狭い範囲の場所をその時の感情でグルグルと回っているだけに過ぎず、そんな人生には流石に飽きてきたような気もする。
でも大人になるということが本当に怖い。発言や行動には責任が伴い、自分の選択次第で全てが変わってしまう。今の時代は発達した技術によって何もかもが記録され、ずっと残ってしまうということも考えると発言一つ間違えただけでも「一寸先は闇」だと思う。
有名人の炎上騒ぎを遠巻きに眺めていると、影響されるのか一般人の我々もなんだか戦々恐々としてしまうところがあると思う。だからみんな怯えて本心を話さなくなり、どんどん表面的で根っこの問題は解決しない社会になっていく。
玄関から出ると外の世界は欲望をそそるようなもので溢れていて、子どもの頃は気が付かなかったマーケティングの手法や色による心理効果、煽動術などが日常の身の回りに実はたくさん張り巡らされていると思うと「もうやだ〜!」と脳の中で子供の自分が駄々をこねてお腹を天に向けながらわめくのである。そういう残酷なことを受け入れていくのが大人になるということなのだろう。
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私は多分、一生この世界を受け入れられないんだと思う。まず人が嫌いだし、親を含めた目上の人間に反抗するし、自分の気分次第で良し悪しを決めるし、協調性に欠けている。だから文章を書くことにより、受容のできないやるせない気持ちを発散している部分がある。
厨二病真っ只中の思春期ガールなのだと思えば可愛いもんだが、26にもなって何をやってるんだろうとたまに冷静になる時もあり、その時は賢者タイムのような何とも言えない気分になる。
人生の歩みを意図的に止めたかったわけではないが、なんだか止まってしまっていた。
でも、止まっていたからこそ自分の関心があることや好きなこと、反対に嫌いなことなどの価値観がどんどん分かってきてそれは結果的には良かったのだと思う。
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今停止していても、それが悪いことだとかいけないことだなんてどこの偉い人間にだって言い切れない。結構漫画家や作家や歌手の方で、若い時は報われなかったが中年以降で夢を掴んだという人もいるし、どこでどうなるかなんて誰にも分からない。
不登校でも無職でも精神病院の中でも牢屋の中でも、その中で吸収したり得るものは必ずあるはずで、それがのちに何か夢を思い描く原動力となり、花開くのを願うのは良いことだと思う。私は牢屋の中にはいたことがないし今後も予定はないが、きっと彼らも反省する中でたくさん考えて得るものはあるはず。晴れて花開けば椎名林檎氏のアルバム名を引用させてもらうと、「無罪モラトリアム」となるのだろう。
私は80になっても思春期厨二病ガールのまま、オカルト動画を見て来るべきXデーに怯えていたい。