「結婚するってなったらさ、ジャンケンで名字決めようよ」
Xで見かけたエピソードにならって、冗談半分でかけた言葉。「ジャンケンで決める」よりも、「自分の名字が変わる確率が50%」を重く受け止めているように見えた彼の反応が、嫌と言うほど物語っていた。
そっちがその気なら、こっちじゃん。笑いながら話しているのに、孤独に思えた。
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別に、押し付けたいわけじゃない。面倒な手続きも、名字が変わる喪失感も、家族4人が、3人と1人になるような心細さも。相手に経験してほしいわけじゃない。だからといって、諸手を挙げて名字を変えるのだとも思ってほしくないのだ。
父が遺した名前と、女4人で生きてきた絆。全てを失ったと思った時、素敵な名前と褒めてもらったことだけを頼りにして生きてきたこと。そういう私が私として生きてきた歴史と切り離されるような、それこそ身を切る思いで、新婚生活は諦めと覚悟と共に始まるのだということを理解してほしかった。
当たり前みたいな顔で、奪わないでほしい。奪うなら、納得がいく説明がほしい。
こうして書くのが、本当は怖い。そこまで実害のある問題ではないのだろうと、結婚したことがない私は思っている。ただ、私のような人間が悲しむ、それだけだ。自分の口を塞ごうとする意見はすぐに浮かぶし、パートナー以外に伝える必要のない話だろう。
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私の意見は、我儘だろうか?偏った意見だろうか?うるさいやつだろうか、面倒なやつだろうか。
半年前までは、こう思っていた。だけど、違ったのだ。
連続テレビ小説『虎に翼』では、男女問わず、自分が感じる理不尽と戦う姿を毎朝見てきた。例えば、物語の初期、今からたった100年前の民法で、「既婚女性は無能力者である」と定められていたことを知った。今となっては「何言ってんの?」と総スカンを食らいそうな言葉を、男だらけの教室で、真面目に説明していた時代がある。
それだけではない。女子が大学で学ぶことも、「結婚だけが幸せではない」という発言に多数が同意できることも、誰かが切り拓いてきたから今がある。
100年前を舞台として始まったドラマを、私はどこか昔の出来事として視聴していた。その思いが変わったのは、主人公の子ども世代が社会に出た頃のセリフ。息子は昇進を期待される一方、娘が「会社行ったって毎日お茶くみ」という趣旨の発言をした時のことだ。
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昔の出来事として見ていたドラマが、自分の母親世代まで追いついたことを実感した。私が今、毎日文句を言いながら仕事に行けることも、誰かが戦ってくれたから。今の私に「男女差なく働く」という選択肢がなかったら、きっと戦っただろう。そう思うと、ここにもそこにも生活のそこら中に、誰かが戦ってきた痕跡があった。彼ら、彼女らのおかげで、私は今ある「当たり前」を享受できている。
それなら、私も叫び続けるほかないだろう。過去に生きた人たちが、必死の思いで獲得した権利。彼らに恩返しをする思いで、私も後の世代のために叫び続けようと思う。10年後の誰かが、部屋の片隅で肩を震わせずに済むように。