「体毛を剃る」という文化を初めて目の当たりにしたのは、中学生の頃だった。体育の授業中、「剃り残しが……」というクラスメイト同士の会話が聞こえ、そちらに目をやると彼女の足はつるつるだった。

その時の衝撃は今でも忘れられない。「足が!つるつるだ!何で?!毛ぇどこ行ったの?」足の毛を剃るという概念を知らなかったわたしは、驚きと戸惑いに打ちひしがれた。

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毛を剃るという文化、さらには「剃っていないときたならしい」「女性の体毛処理は最低限のマナー」と考える人もいることを今では知識として得たが、わたしは(自分の)腕と足の毛が生えている方が好きだ。

しかし、この知識を得てから気がついてしまった。たしかに、腕や足の毛を露出している女性ほとんど見かけない。このことに気がついてからというもの、「女性は当然毛の処理をするもの」という価値観を内面化し、囚われてしまっているように思う。

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もちろん、自分の身体は自分の好きにしていいのだと教えてくれた人もいる。海外のクリエイターが自身の動画で「他人がどう思おうと関係ない。あなたの好きにしていい。何色に染めたっていい。左半身はピンク、右半身は青にしたっていい」と言ったのには面食らったが、最高の発想だと思った。わたしは剃る剃らぬでごちゃごちゃ考えていたが、実はその二極ですらないのだ。好きな色に染めるのは手間を考えると現実的ではないにしても。

ところが、言うは易し行うのは難しとはこのこと。いくら頭で「他人がどう思ったって関係ない!」と強気で考えていても、視界に入ってくるほとんどの女性が毛の処理をしているのを見ると、半袖やスカートから毛の生えている肌を見せる勇気はとてもじゃないが出ない。

「今年の夏は剃らずに乗り越えてみせる」と意気込み、どうしても気になる電車やオフィスではカーディガンを羽織っていたが、猛暑と社会の圧に負け泣く泣く剃ってしまった。自分の心とは裏腹に、風呂場で腕にカミソリをあてるときのみじめさといったらない。せっかく冬の間に生え揃った毛並みが……。

「そんなことなら剃らなきゃいい」「他人が毛を処理していようがしていまいがどうでもいい」と思う方もいらっしゃるだろう。しかし、これが「風潮」というものの力なのだ。自分でも笑ってしまうが、このことで悩みすぎて悪夢まで見た。

今のわたしは、毛の処理をしていないと七分丈の袖からチラ見せするのが精一杯なので、風潮にギリギリ負けている。半袖にハーフパンツという爽やかなコーデを何も気にせず着こなせたら勝ちだなと思っているが、依然として形勢は不利だ。

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最近は学校で長袖しか着られない子がいる、というニュース記事を読んだ。毛深いことをからかわれるのが怖いからだという。この記事を読んで、わたしは自分の負け戦以上に悲しい気持ちになった。

美の基準、毛の趣向なぞ人それぞれなのに、そしてたとえ処理をしたくても体質や経済的な理由でできない場合もあるだろうに、わたしたちに恐怖を感じさせるこの風潮は何なのか。

面と向かって「毛を剃らないなんて!」と言ってくる人には出会ったことがない。けれど、広告やSNS、あらゆるメディアからはその言葉が聞こえてくるようだ。面と向かって言ってくる人がいれば、こちらの価値観を説明すればいい。しかし、風潮というのは部屋からつまみ出してお説教というわけにはいかないのだ。

「美の基準、毛の趣向なぞ人それぞれ」だということをもっと可視化して、新たな風潮にしていく必要があると思う。10年後のわたしが、そして全ての人が、風潮に怯えて悪夢を見ることがないように。