あなたは、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」を読んだことがあるだろうか?

著作権が消滅しているのでインターネット上で気軽に誰でも読むことができる。現代にも通ずる部分もあり、とても興味深い内容なので是非とも一度目を通してみてほしい。

その中の一部に"思うに明朗な近代女性の肉体美を謳歌する者には、そう云う女の幽鬼じみた美しさを考えることは困難であろう。また或る者は、暗い光線で胡麻化した美しさは、真の美しさでないと云うであろう。けれども前にも述べたように、われ/\東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである"という部分がある。

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確かに、現代でも多くの日本人はほんのり暗めの場所にいた方がより引き立って見えるような……。きっと行灯のような薄明かりに照らされると最大限に魅力が発揮できるのだろう。現代は白色の電灯や"見える化"ばかりが流行し、建築物も西洋的なものばかりが新築され、各々の価値観もそれに伴い無意識的に刷新されていっているような気がする。

そして、"私は神経衰弱の激しかった時分、最新式の設備を誇るアメリカ帰りの歯医者と聞くと、却って恐毛をふるったものだった。田舎の小都会などにある、昔風の日本家屋に手術室を設けた、時代後れのしたような歯医者の所へ好んで出かけた"という一文があるが、私も全く同じ経験がある。

これを読んで「マジ!?潤一郎オソロじゃん」と僭越ながらに思った。短大を辞めた18歳の10月頃、うつになりかけていた時に幼い頃から通っていたような無機質な白色の大きい歯医者に行こうとすると足がすくみ、ネットで検索して近所にある人家の一階でこぢんまりと歯医者を営んでいる老爺の元へ通っていたことがある。

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内部は木造で、老爺の趣味だったのか古いレコードからジャズが流れていた。歯科衛生士の70代前半くらいの婦人が明るく出迎えてくれ、私以外の患者は誰もいなかった。昭和や大正を思わせるような雰囲気がとても平成のものとは思えず、タイムスリップしたような気分になった。

もちろん器具も錆びて古びており、それにもなんだかそこはかとなくワクワクした。古びているからといって別に不潔というわけではない。

老爺は口調はぶっきらぼうだが温和で、治療が終わると私に野菜ジュースやお菓子をくれたり、読み終わった時代小説をくれたりした。その小説の内容に興味がなさ過ぎて、あれから8年経った今も読まずじまいである。ありがたい気持ちはあるものの……。

数回通った後に虫歯の治療が完了した。次に虫歯になった時には、現代風な普通の歯医者に行ったのでそのレトロ歯医者が現在どうなっているかはわからない。
昨年そこの前の道路を通った時には、看板と車があったのでまだやっているのだと思う。
谷崎潤一郎にシンパシーを感じたという与太話はこのくらいにする。

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西洋発祥のカメラやSNSは、陰翳の真逆であると感じる。全てが白日の下に晒され、管理され、明るい世界を照らしている。それは開放的で素晴らしい。でも、東洋の文化の良いところをあまり引き出せていないような気もする。

人間も同様に、それぞれに違う個性がある。演出やライティングはそれぞれの性質に合わせたものにした方が映えるのに、近代化したものを盲信して本来の良さが見えなくなっていたのだろう。

試しにスターバックスのダウンライトでの自撮りと蛍光灯の下での自撮りを比較してみると、前者の方が良く見えた。容姿に苦しむのは、元来の性質を無視していたから。それに気づかせてもらったのできっと私は今世でもう大掛かりな施術を受けることはないと思う。
あなたも私も写真や動画で見るよりリアルで見る方が可愛いし絶対に綺麗だ。進む文明に病まぬよう。

「何事も無理に近代化することないのに」と思うのは現実逃避だろうか。みんな違ってみんな良い。近年若年世代でレトロな曲や服が流行るのも、昔に戻りたい感情の表れなんじゃないだろうかと思う。

陰翳を礼賛することで、ルッキズムに反旗を翻したい。とはいえ、何事も過ぎたるは及ばざるが如し。サンキュー潤一郎、サンキューあの秋のレトロ歯医者。