「一目惚れ」という言葉があるけれど、私は人生で一度だけ「一聴き惚れ」をした事がある。転校した中学校で受けた初めての国語の授業で受け持ってくれた先生の音読の声を聴いた瞬間、心を奪われた気持ちになった。

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女性だけど高すぎず低すぎない、心地よくて何だか安心できる声。人の声に対して素敵だと思ったのは人生で初めての事で、授業の度にうっとりしながら先生の声に耳を傾けていたのを覚えている。暖かくて穏やかな先生の雰囲気も相まって他の生徒からも慕われているというのはなんとなく教室を包む空気から感じ取れた。いつもは騒がしいやんちゃな生徒たちも、先生が音読する時には静かだったような気がする。

当時私は真面目に授業を受けている事に対して「いい子ぶってる」とよく陰口を叩かれてしまう事が多かったのだけど、音読で指名された時に抑揚をつけて読んだ際に「仲村さんは音読するのが上手ですね。声も聴きやすくて素敵です」と褒めてもらえたのがきっかけで元々好きだった国語がさらに好きになった。当時は自分に得意な事なんてない、他のクラスメイトみたいに誇れるものが欲しいと強く思っていた事もあって大好きで尊敬している先生からの言葉は宝物のような存在になった。

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それからは当時から趣味で書いていた作文を見せて添削してもらったり、先生からの声かけがきっかけで放送委員に入ったりと授業外でも色々なやり取りをするようになり、中学校を卒業する時には「これからも先生とのお付き合いを続けていきたいので、住所を教えていただけませんか」とお願いして葉書のやり取りを始めた。せっかく関係性が築けてきたのに、卒業で疎遠になってしまうのだけはどうして嫌だったからだ。

どんなに忙しくても文字のやり取りは欠かさずに続けて10年ほどが過ぎた頃、先生が退職されたのをきっかけにご主人の故郷へ引っ越す事になったので会いませんか、というお誘いをいただいた。その手紙の中に「和華さんは私にとって大切な教え子というだけでなく、実の娘のような存在です」と書かれていて、叫び出したいほど嬉しかった。

孤独だった学生時代に支えになってくれたのはあの時先生がかけてくれた言葉だったし、「私も先生みたいな素敵な人になりたい」と目標であり憧れにしてきた人からの温かい言葉は、なんだか片思いが成就した時のようで、幸福感で胸がいっぱいになった。

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今でも先生とは季節ごとの手紙のやり取りを続けていて、今年私が東京へ旅行した際には一緒に東京観光をした。先生と生徒、という枠組みを超えて何だか今では「尊敬できる人生の先輩」であり「共通の趣味を持つ友人」でもあり「家族みたいな大切な存在」でもある。学校の教室で先生と出会ったあの日からこれほど長い関係が続いていくとは思わなかったから、あの頃の私に教えてあげたらきっと信じてもらえないだろう。他にも頭の良い子やすごい特技のある子がたくさんいるのに私なんて、と言うかもしれない。

卑屈になっていた私の数少ない長所を伸ばしてくれた先生。年を重ねても明るくてしなやかな、自分の楽しみを持っている先生の背中を私はずっと追いかけ続けていくんだと思う。いくつになろうと、私にとっての永遠の憧れの人は先生だ。これからも先生の隣に立って恥ずかしくない人間でいる為に美しい生き方をしていきたい。