このサイトに投稿するのも、いつぶりだろうか。確か最初の投稿は、適応障害になって退院した頃だったと思う。そこから早くも3年が経とうとしている。私は今年で24歳になった。このサイトに投稿できるのも、あと5年というわけだ。5年なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。そのあと、このエッセイの存在が黒歴史になるか思い出になるかは、私の心の持ちようにかかっている。人生の記録が検索したら出てくるなんて、本当に現代らしくて素晴らしいと思う。一昔前ならSFの題材になれた。

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私は文章を書くことで生きてきたと言っても過言ではない。人見知りをしないので、周りからはコミュ力があるなんて言われている。しかしそれは大した会話をしていないからだ。関係性が浅いほど、会話の内容には困らない。向こうだって本気で親密になりたくて話しているわけではないのだ。たまたまグループのメンバーになったから、たまたま隣にいたから、その場を穏便に済ませるためのコミュニケーション。それだけなら簡単だ。でも実際には、私の内面のすべてを言語化するのは難しい。言葉だけで表現できる気がしない。だから、文章に託すようになった。小学生の頃からオリジナルの物語を作っていたし、今もほとんど毎日欠かさずに日記を書いている。紙媒体だから、そろそろ保管場所に困ってきた。軽く広辞苑くらいの分厚さがある。電子に移行すべきだろうか。

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このエッセイを書こうと思ったきっかけは、恋愛だ。ベタなテーマではあるが、24歳にもなると恋愛をすることの重みが変わってくる。今は、多分このまま付き合うんだろうなという関係性の人がいる。私も真剣に将来を考える年齢になってきた。高校生の頃みたいに手をつないで満足する、恋愛ごっこでは済まないわけだ。本気でこの人と将来を考えていけるのか、喧嘩したらどうするのか、嫌な面を見てしまったら、見せてしまったらどうするか、頭の片隅には置いておく必要がある。

私は高校生の頃の彼氏に、弱みを見せたことなんてなかった。分かってほしいなんて思っていなかったし、深く知られたくもなかった。価値観なんて知られなくてもよかった。私の綺麗な面だけ見てくれればいいと思っていたし、そのうち別れるだろうという感情がずっとどこかにあった。それで彼女と言えるのか甚だ疑問ではあるが、17歳当時の私にはそれが精一杯だった。それでも1年半付き合ったのだから、よくそんなに長続きしたなと思う。

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今の人、正確にはまだ彼氏ではないが、おそらく彼氏になる人には、そんな感情は持っていない。むしろ高校生の頃の彼氏よりも、既に私のことを多く伝えているし、感じた違和感を素直に言葉に出すようにしている。それはその人とできるだけ長く一緒にいたいからで、隠していてもいつか分かることだから。もうあの頃みたいに、最初から終わりを見据えていない。好きと言うよりは安心する、という表現がしっくりくる人だ。駆け引きとか、そういうのを考えなくていい人。私にとって恋愛は優先順位が低いものなので、刺激よりも安心感があったほうがいい。長く一緒に居ることを考えるなら尚更。

いろいろと書いたが、こうして細々とエッセイを書ける環境があることを嬉しく思っている。これからも私の人生は文章とともにあるだろうし、何かを綴りながら心の整理をする日も続いていくと思う。このサイトに初めて投稿した3年前の私に一言言うとするなら、「大丈夫だよ」と言いたい。適応障害はゆるやかに治った。病院に通ってはいるが、治療の見通しも立っている。夢も諦めるどころか、まっすぐ目指した方向に進めている。一生恋愛なんてできないと思っていたが、そんなことはない。数年で環境も心境も変わる20代だからこそ、今ここに、私の心境を残しておきたい。