今まさに、私は歩みを止めている。

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自分の人生、割とうまくいっているという実感を常に持って生きてきた。自分が思い描いた未来予想図と全く同じ道を歩めているわけではないが、振り返れば人生の大きな分岐の正しい選択肢を選んで生きている、だから割とうまくいっていると思っていた。

社会人2年目も、なんだかんだで割とうまくいくと思っていた。大学生から社会人になり駆け抜けた1年目が何とかなったのだから、2年目も何とかなるだろうと、何とかするのが私だとも思っていた。

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でも、何とかならなくて2年目になって2か月足らずでうつ病と診断され休職することになってしまった。外に出るのが怖くなり引きこもりがちになり、連絡も返さないといけないと思ったまま数日放置してしまい、そんなことが続いて友達も先輩も気を使ってか連絡をほとんどしてこなくなり、これまで自分がいた社会が遠ざかっていくような気持ちがした。

私の人生、割とうまくいってたはずなんだけどな。こんなはずじゃないのにな。

毎日自問自答して、頑張れなかった自分を否定して、落ち込んで、そんな繰り返しの生活。

これまでうまく進んできた足が完全に止まったと思ってまた落ち込んでそれでも進みたくてむやみに進もうとしてまた落ち込む。

でも、不思議なことに落ち込むことにも飽きが来る。一体私はいつまで落ち込んだら気が済むのだろうと、落ち込んでいる自分が可笑しく見えて、腹をくくってしっかり足を止めて、完全に後ろを振り返ってみた。もう完全に失速しているなら、いっそこのまま後ろを振り返ってしっかり止まってやろうじゃないかと。

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これまでの人生をゆっくり振り返ると、割とうまくいっている人生ではないのかもしれないと思った。
小中学校の時は何をしてもよくできる姉と比べられて、それが嫌で姉とは違う高校へ進学した。高校に進学してからは文理選択の2択を思いっきり間違えて、毎週20時間以上興味も関心もなく理解もできない授業を聞いて絶望していた。その間違いのせいで行ける大学も限られてしまった。大学生の時はパワハラ・セクハラまがいのバイトに週7で通っていた時もあった。

思い出せる人生の瞬間のほとんどはいい思い出ではなくて、むしろコンプレックスや絶望に満ちたもの。人生の分岐を思いっきり間違えて強引に修正して修正して何とか今まで生きてきただけじゃないかと思うくらい、割とうまくいっていない人生のような気がする。

それでも、改めて自分の人生割とうまくいっていないと口に出してみると、全くしっくりこないのだ。どんなにネガティブに考えても、私の人生は割とうまくいっている気がしてならない。

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あの時、姉と同じ高校に行っていたら、私は大好きな演劇に出会えなかった。
あの時、文系を選択していたら、大好きな地理を受講することはできなかった。
あの時、週20時間以上の理解できない授業を何とか聞いていたから、社会人になってから数学の面白さに気付くことが出来た。
あの時、理不尽を嫌というほど知ったから、私は働くことにやりがいと価値を見出して自分がやりたい仕事に就くことが出来た。

何度も何度も泣いた。怒られたし怒ってきた。嬉しい出会いも悲しい別れも経験した。明日なんか来なければいいのにと泣いた夜も、自分ではどうしようもない壁にぶち当たったこともあった。でも私はそれら全部を含めて、割とうまくいっている人生だと、自分に客観的評価を下している。

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今、立ち止まっているこの瞬間も、数年後には私がそっと抱きしめて割とうまくいっている人生に変えてくれる。今は明けない夜を一人で過ごしていていいのだと思えた。まだもう少し過去の余韻に浸っていたくて、前を向いて一歩を踏み出したくなくて、暗がりに隠れている。どんな自分も全部大切に抱きしめてくれることは私が私として生きてきた20数年が証明してくれているから、今この瞬間も、これから出会う絶望も、最後には全部割とうまくいっている人生に変わる。
その確信をもって、私は今も歩みを止めている。
もうすぐ朝が着て、そしたら私の足は、間違いなく次の一歩を踏み出すだろう。