私が歩みを止めたのは、やりたくないことに対して一生懸命になること。今回はそれについてのエッセイを書こうと思う。
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私の人生は、ずっと誰かに強要されたものが多かった。例えば三歳の頃に始めたピアノは両親が「ピアノをやる人は頭が良くなる」と考えていたからだった。毎週スクールに通い、時には試験を受け、私自身は全然興味もなく、正直何でピアノをしているのかよく分からなかったが別に否定する理由もないため、流れでピアノを続けた。
そして次は、勉強だ。義務教育とは別に、将来が困らない様にしっかりとした大人になるため、両親が塾へ通わせてくれた。でもこの時も私は、何で塾に入る必要があるのか分からないまま、親は高い受講料を払い続け、三年間塾に通わせてもらった。私は物凄い頭が良い訳ではないので、親の期待には応えられず中々結果は出せなかった。両親はよく悲しんでいた、出来の悪い娘と蔑む日もあれば、それでも成績が良いとよく頑張ったねと言いながら私の好きなご飯を作ってくれたり、ゲームソフトを買ってくれた。私は確かに嬉しかった、嬉しかったけど何処か虚しいなと思う時もあって、でもそれを私の為に働いてくれる親には言えなかった。
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無事に進学後、青春の様な高校生活を送っていたはずだったが、直ぐにまた私の人生にやりたくないことが割り込んできた。それは、看護師になるということだった。看護師になるには、四年制の大学か三年制の専門学校に行かなくてはならない(他にも方法はあるかもしれないが、私が知っているのはこれくらい)。私は看護師に興味もないし、なりたいという感情も全くなかった。ましてや人の命を預かる仕事など怖くて仕方がない。でも、その気持ちを両親には理解して貰えず、やりたくないと突き放しても家族の縁を切る決意が出来ないまま、結局は流れで看護師の専門学校に入学した。
そこからはもう地獄の日々。眠れない実習、女の世界、生き残りをかけた生徒同士の競争。私の進学した学校は、平気で留年や退学があったからこそ皆が必死だった。そんな中私は人一倍やる気がなく、授業態度や成績もパッとしないので教員に目をつけられていた。怠惰に過ごしていた学校生活とは裏腹に私の心の中は、どうしてやりたくないことにここまで辛い思いをしなきゃいけないのと、沢山の怒りや反抗心で埋め尽くされていた。
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でもこれは、子供の様に駄々をこねているのではなく、心が限界だと周りに分かってほしかったんだ。だってそうでもしないと、私自身を見てはくれないから。生き地獄と感じた学校生活も、三年生になればここまで乗り越えてきたからと最後は必死に駆け抜け、専門学校を卒業した。その後は看護資格を取得し、流れで病院に就職。だけど、入職してからも私はいつかこの仕事から離れたいと思いながら働いていた。そんな考えは患者様にも失礼だし、何よりも心が悲鳴をあげていた。ずっと頭の中で、もうやりたくない、もう嫌だと人には言えない言葉が飛び交い、押さえつけていた思いが爆発しそうだった。まるで胸の奥にある異物が邪魔をして、本当の気持ちに蓋をしているような感覚だ。
猛烈な苦しみを感じた時、ふと私は自分の人生を振り返った。今まで生きてきて、私は自分で何かを決断して行動したことがあっただろうか。誰かが決めたシナリオ通りに、必死に生き抜いてきただけではないか。私はいつも自由でありたかった、私の人生のはずなのにいつも息が詰まって、全部お前らのせいだと涙を流し続けてきた。私は流れで生きてきたからこそ、大きな一歩を踏み出す勇気も、それに伴う努力をすることも出来ない人間だと思っていたが、本当は一度歩みを止めて自分自身を振り返る時間が必要だったんだ。そして、自分を否定するのではなく、寧ろ辛い思いをしてまで耐え続けてきた自分を褒めてあげるべきなんだ。
生きていく中で私は自分を二の次にしていた。私が馬鹿な判断をしなければ周りは笑ってくれる、褒めてくれる。そうやって居心地の悪い居場所にいつまでも縋って、大切な自分自身の声に聞こえない振りをしていた。でもそれは私が私に無理矢理異物を食わせていただけであって、生きにくくさせていたのは周りではなく、私だとようやく気付いた。
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大人になればなる程毎日が忙しく、どんどん情報はスクロールされて、自分を大切にしている時間など何処にもないから自己を犠牲にし、心は疲弊していく。でもこの人生の主役は自分自身で、何をするにもまず私の心と体が大切だ。街行く人を見ると、立っているだけでも辛そうな人がいたり、や心が限界をむかえて藻掻く人のSNSをよく見かける。誰かに自分の価値観を強要したくはないけど、その歩みが更に暗い世界へ進もうとしているのなら、このエッセイで貴方の歩みを止めるきっかけになりたい。