匂いを表す漢字がいくつもある、と知ったのは確か小学校の高学年の頃。「みる」や「きく」と同じ五感を表す言葉で使い分けをするのってなんだか不思議だなぁ、「薫」や「香」はおしゃれだけど「臭」はマイナスなイメージがする、となんとなく思ったのだけど、源氏物語の時代から今に至るまで、男女関係なく中性的で爽やかな印象を持つ言葉でもある。それだけ昔から人の記憶の中に忘れられない匂いというのがそれぞれの中にある事の証明だと感じる。
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私にも好きな香りがたくさんあるけれど、嗅いだだけでその時の記憶を鮮明に思い出せるもののひとつが掃除用品の洗剤の香りだ。ある程度大きくなるまでそれが何の香りなのか全く知らなかったのだけど、高校生の時に学校の大掃除でたまたまその正体を知り、保育園に通っていた時の事が走馬灯のように流れて懐かしくてなんだか泣きたいような気持ちになった。人見知りが激しくすぐに泣いてしまう怖がりだった私にいつも優しく寄り添ってくれた先生の笑顔を思い出したからだ。
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私はとにかく変化に弱い。大人になった今でさえそうなのだから、幼い頃は周囲のちょっとした変化にも敏感に反応して、両親からは「お前は本当に育てにくい手のかかる面倒くさい子だ」とよく言われていた。半年に一度ほど会う親戚に挨拶をするのも怖くて、親の後ろに隠れて泣いている様な状態だったから、知らない人ばかりの保育園は私にとって恐怖でしかない。当時のおたより帳には「今日は1日中泣いていました」の言葉がよく並んでいた。好き嫌いも多くて給食の時間も楽しめなかったし、みんなで遊ぶのも苦手。今考えると感覚過敏で苦手なものが人より多かったんだと思うけれど、当時は「みんなと一緒に」が何より大事だとされていたからか、怒られてめそめそしながら保育園で過ごしていて、保育園児ながら登園拒否をしていた(ただし母から許してもらえる事は一度もなかったけれど)。そんななかで年中の時に私の担任になった先生は、他の先生とは対応が少し違った。
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「出来ない事があっても大丈夫だよ」「先生も苦手なお野菜あるよー。大人の先生でもあるからのんちゃん(先生はそうやって呼んでくれていた)が苦手なものあってもダメじゃないんだよ」と、私ができない、こわいと尻込みする事に対して絶対に否定的な事を言わなかったし、どんなに些細な事であっても褒めてくれたし約束を守ってくれた。
給食にしても「半分食べられたんだからもう半分も食べなさい」じゃなくて、「半分も食べれたね、あとはもう残して大丈夫だよ」という声掛けをしてくれる。それだけでも先生は約束を守ってくれるんだな、と大人を信頼する事が出来た。結局卒園するまで集団行動も偏食も変わる事はなかったけれど、先生と会えるから保育園に行く、と前向きに考えられるようになった。思い出の洗剤の香りは先生自身というよりも保育園全体に漂っていたもので、年中の途中までは苦手にしていたのだけど、久しぶりにその香りを嗅いで思い出したのは先生の事ばかりで、優しい気持ちになれた。
卒園式以来先生とは会えておらず、もう二十数年前の生徒の事を先生は覚えていないかもしれない。今ひとり暮らしの我が家を念入りに掃除する際には思い出の洗剤で床を磨いている。いつか先生に会えたら良いな、と淡い願いをもって。