秋風がごうごうと吹いた10月10日、急いで風呂を済ませて22時からのAbema primeかがみよかがみ特集をリアルタイムで視聴するべくAbemaのアプリを開いた。
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前のコーナーが終わり、伊藤編集長の姿が画面に映った時とてもワクワクした。
そして初めの方で私の仙台の記事が映ったのにびっくりしたが、嬉し恥ずかしといった気持ちだった。
出演者同士のトークが始まると、辛辣な意見が多くて少し動悸がした。編集長も勝手ながら緊張しているように見えて、話しにくそうだなあと思った。あの空気感の中での返しはさすが記者をやられている方だと感心した。
視聴していて色々思うことがあったのでここに述べさせてもらう。かがみよかがみの威を借りるヌートリアみゆうである。
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まず、EXIT両氏の
「結局今の時代のバズは行き過ぎた発言が伸びる」「人を傷つける発言が伸びやすい」
というのには一部共感する部分もありつつ、媒体や層によって違うのではないかと思った。端的に言い当て、即時的な反応を狙うのはSNSに特徴的なものだと思う。肉体的な反応をする一部の人々には「バズる」のかもしれない。
「SNSで拡散力があって〜」「バズってて〜」
とかも正直どうでもいい。そういう人なんてごまんといるし、PRや嘘だって多い。
「あなたはそのようにして成功されたんですね、それは良かったですね」
で終わってしまう。拡散力があるからと言って、数字を取れるからと言って社会が如実に変わったことが果たしてあるだろうか。
これもルサンチマンですかね。
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「男なら社会を変えるのにエッセイ書いてどうのこうのしない」「男ってルール変えたくても我慢する」
というのも、めっちゃ人によると思う。個人差しかない。男性の詩人や小説家、表現形態が違えど歌やラップで社会に訴えかけるアーティストは多い。それに影響されて共感し、行動に移す人だっていることだろう。それを女々しいとか思う人は少ないだろうから、書けるのなら男性もエッセイを書いてほしいとすら思う。
まあこういう場だと、
「エッセイで社会を変えるなんて良い試みですね、ぜひ頑張ってください!」
なんて月並みなことを言っては番組が盛り上がらないだろうから、そんなこと全く思っていなくても批判的な目線での発言をしなければならないのだろう。コメンテーターも心苦しいはずだ。
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分断、階級、弱者などの話題も上がったが、私は全てにおいて低層レベルなはずだ。それなのに、SNSやテレビ以外の現実世界では全く分断や差別を実感しない。むしろ幸せである。「数字で可視化」というのは、果たして本当に可視化できているのだろうかといつも思う。私は体重然り年齢然り金然り、数字で幸せになった試しはない。1泊100万円の絶景ホテルのスイートルームに泊まってから言えって話かしら。でも、みんな数字の魔力に魅了されすぎだと思う。
それに、人は相対的に見れば誰だって弱者である。メディアであれこれ言っている人やSNSでバズっている人、資本主義でうまいことストリップ出来ている人が強者とは限らない。その人たちだってまた違う世界の人から見れば弱者に過ぎないのだから、弱者だ強者だなんて至極無駄な良い争いである。
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私は、別にバズりたくてエッセイを書いているわけじゃない。顔も名前も知らない誰かに、人生の出来事や思ったことを共有している感覚が楽しいからだ。昔から交換日記とかプロフ帳とかが大好きだったから、その延長線上だと思う。自己満でもいいけど、もし誰かのためになれたら超満足。卒業までその感覚で書き続けたい。
昨年朝日新聞本社でのイベントに参加した際、編集長が徳島のすだちを参加者にお裾分けして下さったのを思い出し、あの時のすだちの酸っぱさを思い出した。舌が痺れるほどの討論は見ていて楽しくもあった。こんなに色んな気持ちが出てきたのは久々で、鈍麻していた感情が少しだけ復活したような気がする。
とにもかくにも、編集長の勇姿を見られて良かった。おつかれさまでした!