私が歩みを止めたのは、家族と向き合うことをやめたときだった。
8歳のとき、母が家を出て行った。理由は浮気だったらしいが、当時の私はそれを理解できるほど大人ではなかった。ただ、母が突然いなくなったことで、家族の形が崩れてしまったことだけははっきりと感じた。父は仕事で忙しく、子育てにはほとんど関わっていなかったため、私と姉は父方の祖父母と暮らすことになった。
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祖父母との生活は決して楽ではなかった。特に祖父は、「普通」に対してのこだわりが強く、部活、勉強、そして容姿についても厳しかった。祖父は私に、「もっと勉強を頑張れ」と言い続けた。成績が少しでも悪いと叱られ、運動部に入るようにとも言われた。しかし、私は運動が苦手で、美術部に興味があった。でも、祖父にとっては運動部に入ることが「普通」であり、それ以外は「怠けている」とみなされた。さらに、祖父は私の体型にも厳しく、「女性なら痩せていて当たり前。45キロ以上は太りすぎだ」と、まだ成長途中の私に言い聞かせた。外見へのプレッシャーは、心に重くのしかかっていた。
姉との関係も私を悩ませた。姉は自分がスマホを持っていたのに、私が持つことを許さなかった。「インターネットは危ないから」という理由だったが、実際には私が少しでも自分より良い思いをすることを嫌っていたのだと思う。部活でも、「運動部じゃないなんて、負け犬だ」と非難され、勉強も「自分の方ができる」と常に優位に立とうとする。そんな競争心と祖父の厳しさが重なり、私の自己評価はどんどん下がっていった。
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高校を卒業してから、私は家を出て東京で一人暮らしを始めた。家族と向き合うことに疲れ、離れることで自分自身を見つけたいと思ったのだ。家族の期待や競争から解放され、自分の人生を生きるために。家族との距離を置くことが、当時の私にとっては唯一の選択だった。
東京での生活は決して楽なものではなかったが、介護の仕事を始めてからもうすぐ8年が経つ。その間、私は多くの人々や家庭と出会ってきた。そして、どんな家庭にもそれぞれの事情や悩みがあることに気づかされた。完璧な家族などいないのだ。自分が育った家庭も例外ではなく、祖父母や姉との関係もまた、複雑なものだった。
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大人になってから、祖父母の愛情に気づくことが増えた。祖父の厳しさは、私に良い人生を送ってほしいという思いから来ていたのだ。彼の価値観では、「普通であること」が私の幸せにつながると信じていたのだろう。そして、祖母はいつも私たちを温かく見守り、支えてくれていた。彼女の作る料理は、今でも心に残っている。祖父母の愛情を、私は当時理解できなかったが、今はその意味が少しわかるようになった。
それでも、私は家族と向き合うことを避け続けている部分がある。どこかで傷つくのが怖かったのだと思う。ハリネズミのジレンマのように、私たちはお互いに近づきたいのに、近づきすぎると傷つけ合ってしまう。家族との関係も、そんなジレンマを抱えながら、距離感を探り合っていたのだと思う。近づくことで温かさを感じる一方で、傷つくことを恐れて離れる――そんな繰り返しだった。
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家族との距離を置いたことで、私は自分自身を見つめ直す時間を得た。そして、その選択は、今の私にとって必要なものだった。東京での生活や介護の仕事を通じて、家族の愛情や、自分が本当に大切にしたいものに気づくことができた。
家族は、血の繋がりだけではなく、お互いを理解し、支え合うことで成り立つのだと感じる。介護の現場で出会った人々の中にも、それぞれの家族が抱える悩みや喜びがあった。私も、そんな複雑な家族関係の中で育ち、今もその影響を感じながら生きている。
私は今、自分の道を歩んでいる。家族と向き合うことができる日が来るのかどうかはわからないが、そのジレンマの中で、少しずつでも前に進んでいけたらと思っている。