「かとうゆきのやってることって儲からなさそう」
文筆家を夢見て、日々文章を綴る私に、何十億ものお金を儲ける経営者がそう言った。
彼の台詞が私の中で刃物となって突き刺さり、私の今まで生きてきた美しい世界が崩れる音がした。
私は昔から創造的な世界で生きてきた。その世界が自分の全てだった。好きなものは漫画に小説に文学。夢はさくらももこ先生のように、多くの人を笑わせ、感動させる作品をつくることだった。
幸い私は、学生時代から文章を書くと褒められることが多かったため、自信を持ってその道に進むつもりでいた。自分の夢に誇りを持っていた。
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しかし、大学を卒業してから私の追いかけている夢は”遊び”で”趣味でやること”だと言われるが多くなった。卒業後に見た論理(ロジック)の世界では”美しい”だとか”面白い文章”などは一切不要で、論理と儲けで世界は回っている。
たしかに私が日々こうして文章を書いたところで、大したお金にはならない。当たらないダーツを永遠に投げ続けているようなもんだ。一方で、論理の世界を生きる経営者の彼は、行動した分だけ金を生み出す。やはりこの世は感情や感覚ではなく、論理で成功するものなのだ。
途端に、なんだか自分が今まで美しいと信じてやまなかった世界がバカらしく思えてきた。もっと実用的で、儲けを生み出す大きなことを考えた方がいいのかもしれない。その日を境に私はビジネスの世界に足を踏み入れることになる。いわゆる起業に挑戦しようとし始めたのだ。ビジネスなんて自分とは無縁だと思っていたのに。
そこから日々自分に催眠をかけるように、私はお花畑の小さな自分の芽を殺していった。
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朝聞いていたバンドやクラシックの音楽は、ニュースのラジオになった。小説や漫画を棚の奥にしまい込み、自己啓発本に日々啓発されるようになった。自然や景色にいちいち感嘆するのをやめ、常に何がお金を生み出すのかについて考えるようになった。
こんなに一瞬で、人は変われてしまうのが正直怖かった。家族と雑談する時間も無駄だと思うようになり、家ではよく殺気立っていた。自分のハートがどんどん汚くなって、真っ黒に染色されていくのを日々痛感する痛みに耐えながら、再び自分に催眠をかける。これは私が大きな富を得るべく成長するための、人生の大事なターニングポイントなのだと。
そうやって自分が変わり始めて、2ヶ月目。一切音楽も漫画にも触れなくなった。すっかり自分はあっち側の人間になれていると誇りを持ち始めた頃、起業家や経営者の人々と出会う機会に恵まれた。
しかし、飛び込んだその夢見た世界では、自分はその中で、はまらないパズルのピースとして存在しているような気分だった。話は勿論、論理と金の話で、まるで自分とは見てきた世界が違うような感覚を覚えた。正直怖かった。
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1人で帰る帰り道、急に涙がドバッと溢れて、止まらなかった。
これはきっと優秀な起業家と沢山出会い、知らずのうちに自分と比較したストレスによるものだろうと思っていた。儲けについて今まで考えたこともなかった私はまず根本的なビジネス脳について学ぶ必要があると内省し、前に進もうとしていた。
しかし、涙はまだ止まない。
急に一気に涙が溢れたので、一粒一粒の涙に感情の名を問いかける。
しばらく自分でも何故大きな夢に向かっているのに、涙しているのかわからない状態が続いた。頭の奥底に靄がかかり、ぼーっとし、自分がなんでこんなにも涙が溢れて止まらないのかわからない状態が続く。
心を落ち着かせるために、久しぶりに大好きだったバンドの再生ボタンを押す。イヤホンを大音量にして、久しぶりにメロディを頭の中で享受した。
落ち着いているせいか、いつもよりもドラムやギターの音が鮮明に聞こえた。とても繊細で細かく、綺麗で、久々に触れた世界はとても美しいものだった。
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きっと新たな環境へのストレスとプレッシャーだろうと思い、その日は久しぶりに夜パソコンで仕事をするのをやめ、大好きだった漫画「惡の華」を手に取った。
何回も読んだ漫画の展開もわかっているし、泣くような場面ではないのに、私はまた泣いた。読み古した黄ばんだ漫画の紙に、大粒の涙がこぼれ落ち、それは小さなシミとなった。
心の奥底で「かとうゆきのやっていることって儲からなさそう」と言う経営者の台詞が繰り返し過っていた。
これは恨みや憎しみではなく、きっと悔しさだと静かに頬に涙を垂らしながら私は悟った。
私はきっと自分の住んでいた世界の美しさを本当はわかってほしかったのだ。
今まで自分の大切にしてきた宝物をバカにされたようなそんな屈辱を味わっていたが、どんなに書き続けてもスポットライトの当たることのない自分の作品に自信をなくしていた。
私は日々自分を誤魔化し続け、生きてきた正義を侮辱する自分のこともすごく嫌だったのだ。
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もしかしたら生涯私の文章はスポットライトを浴びることはないかもしれない、それは自分の中で一番最悪な人生の結末だが、「いい文章だね」と言ってもらいたかった。せめて「いいね」くらいは言ってほしかった。
どんなに本を読んで、経営者のマインドを頭の片っ端から詰め込み、あっち側の人間になれたと思っても、私は結局こっち側の人間だぅた。
こうして文章を綴ることは私にとって、ぐちゃぐちゃな頭の中を整理する感情表現の一つ。それができなければ、きっと私は今すぐ死んでしまう。
繊細な私はこうやって傷つきながら書いていくのが、使命なのかもしれない。
私は儲けるならこの今まで信じてきた世界で儲けたい。
その日はただ悔しさと悲しみに溺れながら、暗い部屋で1人涙を流しながら感情を殴り書いた。
翌朝は、懐かしいバンドの音楽を聴いた。