食べることは生きること。「クオリティオブライス」上げていきましょ
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小さい頃から人一倍食い意地を張って生きてきた。私は三大欲求の中でも一番食欲が強いと自負している。
幼少期の記憶としてよく思い出すのは、山形の祖父の家に帰省した時に蔵にある座敷で親戚一同集まった時に、それぞれが持ち寄ったお菓子の中、ひときわ輝いて見えた木製のカゴに入ったリーフパイのことだ。
あれは4歳くらいの時だったと思う。
叔母が蔵の縁側の方に私を手招きして、「これ、一緒に食べよう」と言ってくれたのだ。
あまりにも食欲が強い子供だったため、父は姉である叔母に「食べさせないように」とこっぴどく事前に言いつけてあった。それなのに掟を破り、私に餌付けをしたのだ。
禁断の果実ならぬ禁断のリーフパイである。
包装を開けると葉っぱの形のパイの表面にはザラザラしたザラメ砂糖がまんべんなくまぶされ、バターの香りがふんわりと香ってきた。
かぶりつくと、サクッとした食感と共に口の中に快楽の味が広がった。
その様子を見つけた父が、叔母と私を叱った。それがしばらくトラウマになって父のことが嫌いになった。
当然のごとく、私は同年代の女の子の中ではぽっちゃりしていた。だからそれを心配してのことだったのだろうが、その反動が十数年を経て表出してくることになる。
「この体型ではダメだ」
と思い込み、ダイエットを開始した10代半ばから20代前半で食べること自体が恐怖と化し、自分の見た目に苦しんだ。
人のせいにしたいわけではないが、家庭内でテレビを見ている時に両親が、
「この人太ったよね」「顔パンパンじゃん」
などと見た目に関することを指摘するタイプの人間だったため、その言葉の散弾を日常的に浴びまくっていたのだと思う。
食べ物を摂取したら、すぐにカロリーを消費するために家の周りを駆けずり回ってジャンピングスクワットをした。肉体が悲鳴を上げていてもその声に気付くことすらせず、私は自己否定をしながら観念に振り回された。
骸骨のようにあばら骨が浮き出て餓鬼のようになった姿こそが美しいのだと、信じてやまなかった。
今のところは標準体重に落ち着いている。でもこれからの人生でまたアップダウンはあると覚悟している。
やっぱり私は食べることが何よりも好きだ。
この間食べた芋モンブランもドトールのたまごサンドも、お肉もお寿司も全部好き。
病に倒れた人でも、糖尿病などの生活習慣病以外では食べられるのならまだ命には関わらないレベルだというケースも多いのではないだろうか。
それくらい食べることは生きることに直結してくる。
別にモデルでもあるまいし、ダイエット漢方をPRしているインフルエンサーでもあるまいし、エネルギー値が高い方が生物として正しい気がする。
かのアレン様が言っていたように、多少のお肉は富の象徴であると感じている。もちろん形状を保つためにトレーニングはするけれど、必死こいて標準体型以下を保つ意味がない。
それよりも自分の精神衛生が良好に保てて、ごきげんにいられた方が人生のパフォーマンスがあがる。
ライフパフォーマンス&ライスパフォーマンス、略して"ライパ"。クオリティオブライス、略してQOR。
そのダイエット、本当に必要ですか?ライパとQORをあげてごきげんに生きていきましょう。
ほら、どこかのお店からまたいい匂いがしてきましたよ。クンクン。
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