カビキラーの匂いで思い出す、大嫌いだった水泳と私の格闘の日々

毎年、夏の気配が近づくたびに思っていた。
「学校のプール、早く爆発すればいいのに」と。
走るのも投げるのも蹴るのもダメな典型的運動音痴な私が、何よりも苦手としていたのが水泳だった。嫌いを通り越して、憎しみさえ覚えていた。だから毎年、爆発なんていう物騒な呪いを心の中でこっそりかけていた。
小学校低学年の頃は、泳ぐ以前の段階でつまずき続けた。水の中で、どうしても目を開けることができなかった。「ムリ、絶対痛いに決まってる」と、怖くて怖くて仕方なかった感覚を今でも覚えている。水が入ってこないようにぎゅうっと目をつぶって、そのままバタ足で泳ぐ。けれど息つぎができないから、10メートルくらいの所ですぐに立ってしまう。そこからスタート地点を振り返ると、自分がまっすぐ泳げていないことがよくわかった。水中で目を開けられていれば、あんなに盛大に斜めにそれることはなかっただろう。
中学年辺りからは目は開けられるようにはなったものの、息つぎはできないままだった。クロールでも平泳ぎでも、みんないとも簡単に息つぎをしながらすいすい泳いでいく。決して難しそうには見えないのに、いざ自分が同じことをしようとすると途端に身体が言うことを聞かなくなる。水面から顔を出したくても、身体は逆に沈んでいく。だから空気が吸えない。結果的に水中でジタバタとヘンテコな動きをしているだけとなり、空気が足りずに苦しくなったところで立ってしまう。そんな調子だから、いつまで経っても私の記録は10〜15メートルくらいで停滞していた。プールの端から端まで、25メートルを泳ぎきることなんてとてもじゃないけどできなかった。
それでも、小学校3年生くらいまではまだ良かった。私のように泳ぐのが苦手な児童ーカナヅチキッズ仲間がそれなりにいたからだ。学年ごとに設けられた基準に満たない児童が召集される、夏休みの水泳教室(いわば水泳の補習授業)の参加児童も、少人数とはいえ私以外にもいた。決して、独りではなかった。
ただ、4年生、5年生と、学年が上がっていくにつれて水泳教室の参加児童は減っていく。6年生のときは、私含め確か3人だったと思う。でも、そのときはっきりしてしまった。「6年間水泳教室に通い続けたのって、学年で私だけだ」と。
6年生のときの水泳教室で一緒だった2人は、低学年の頃に水泳教室を免れていたことがある。低学年に設けられている基準はやさしいものだから、クリアしていたのだろう。私にとっては全然やさしいとは思えなかったけれど。
水泳教室で独りぼっちになることはなかったのだから、まだ不幸中の幸いではあったのかもしれない。とはいえ、唯一6年間水泳教室に通い続けたというその事実は、要らない負のレッテルとなり、記憶の中にべったりと貼り付いてしまった。
でも6年生のときは、水泳教室よりも普段の水泳の授業のほうが遥かに憂鬱だった。担任の先生がえらく厳しい人で、泳ぎながらべそべそ泣いていた。プールの水と自分の涙でぐちゃぐちゃになった顔をタオルでごしごし拭きながら、「水泳なんて大っ嫌いだ」と、心の中で吐き捨てた。6年生にもなって学校で泣いている自分が、情けなくてしょうがなかった。
中学生になっても、高校生になっても、水泳に対する苦手意識は変わらなかった。中学生の頃の水泳の授業は比較的ゆるかったからまだ良かったものの、高校生になってからは水泳への嫌悪が再燃した。体育教師がやたら熱いおじいちゃん先生で、私がジタバタと不恰好に泳いでいる際、プールサイドから「頑張れぇ!諦めるなぁ!」と檄を飛ばされた。悪意がないことはわかっているものの、「声がデカい」「目立つからやめてくれ」と思わずにはいられなかった。
小・中・高と、夏に水泳の授業があるのは全国共通なのだと勝手に思っていた。だからこそ、プールのない学校がそこそこあることを知ったとき、愕然とした。確か、高校1年の頃だ。
プールがないということは、水泳の授業もないということだ。ちなみに、高校受験の際に併願で受けた高校にはプールがないことを後々知った。「あっちの高校に行けば良かった……」と、割と本気で思ったこともある。
……なんてことを、浴室の掃除をしている最中、カビキラーをシュッシュッと振りまくたびに思い出す。狭い浴室の中に立ち込める塩素臭。プールの匂いとよく似ている。
つらつら書いてきた通り、私にとってプールにまつわるあれこれは黒歴史と呼んでもいいはずなのに、カビキラーをシュッシュッとしてもそこまで嫌な気持ちは湧いてこない。「あれだけ呪ってたのに、何でプールは爆発してくれなかったんだろう」とも思わない。
むっとした熱気がこもる更衣室。
身体をすっぽりと覆う、てるてる坊主みたいなプール用のタオル。
タオルのカラフルな絵柄は、みんな違ってみんな可愛くて。
まるで鉄板の上を歩いているように思える、熱々のプールサイド。
太陽の光を反射させて、ゆらゆら煌めくプールの水面。
入る瞬間は冷たいけど、外の暑さとすぐに中和されてじんわり心地良くなる水の中。
まったく泳げなかったけれど、大嫌いだったけれど、いま当時を振り返ると懐かしさが自然と湧いてくる。嫌悪感や劣等感もまるっと含めて、「そんなこともあったよね」と笑うことができる。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なんて言葉もあるように、大抵のことは過ぎてしまえば過去のの出来事のうちの1つとして静かに収まる。
カビキラーの塩素臭が、私にそう教えてくれた。
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