「本」という物体そのものが好きだ!ページをめくる動作に魅了される

本が好きだ。読書も好きだが、本が好きだ。電子書籍は好きではない。紙の本が好きだ。
そんな私のごきげんになる瞬間は、本のページを持ち、めくる瞬間だ。電子書籍は実体をもたず、その瞬間を味わえないというのが好きではない理由である。
ページをめくるという行為は、単にその本の内容が進んでいくことだけを表しているのではないと私は思う。自分が今新しい世界や知識を得たことの達成感や未知の領域に踏み込んでいくドキドキを味わうこともできる。そしてそれを感じることは、しっかり実体をもった紙の本の方が容易いと思う。だから私は、本そのものが好きだ。
こうなってくると、本が友達に見えてくる。幼いころから他人とかかわるのが苦手だった私の遊び相手は、本だったように思える。
国語の時間は読み方に正しさを求められて、あまり良い成績を残せなかった。しかし、遊びとしての読書は、正解がなくて、自由で、否定もされない。
人間の友達は気を遣うから、私が自然体でいられたのは本の前だけだった。
図書館や本屋は、本がたくさん置いてあり、私にとって聖地だった。
私のすべてを否定しない本が、新たな世界に連れて行ってくれる本が、たくさんあるという状況は幸せそのもので、お金もないのに週に1回は本屋に立ち寄っているし、借りている本がいくつもあるのに、図書館の本棚を眺めに毎日通い詰める。本棚を眺めているだけで癒される。
親戚の赤ちゃんが絵本のページを読まずにめくり続けるのを見た。
その行動そのものに意味があるのかと考えたとき、ページをめくるという動作自体に意味があるのだと思った。物語が進む以外に、めくるという動作そのものが楽しいのだとそのときに考えた。この考えにたどり着いてから、読書が、本がもっと好きになった。
ページをめくるという動作がもたらすものは、そのものの楽しさと、ドキドキと、様々なものがある。文字や内容に焦点があたりがちな読書だが、ページをめくるという動作に注目してみるのも悪くない。
例えば、すべてのページに「あ」としか書かれていなくても、ページをめくるという動作ができれば、なんだか楽しめそうな気さえする。読書という行為は楽しめないかもしれないが、本という物体を楽しむことはできるだろう。
それくらい、私は本という物体に愛着を持っているのだ。
200ページくらいの本が好きだ。持ち運びやすい厚みと、1日で読むのにぎりぎり飽きない程度の情報量で、私を魅了する。めくるという行為がたくさんできるからといって、分厚い本が好きなわけではない。私は元々飽き性で、分厚い本にはむしろ苦手意識がある。
読書が好きという人は見たことがあるが、本そのものが好きという人はあまり見たことがないし、あまり聞いたこともない。別に気にしていないのだけど、本そのものが好きと自覚できている人は少ない気がする。
このエッセイを読んで、本という物体そのものの魅力に気づいてくれたら、共感してくれたらと思う。電子書籍が便利といわれているこの時代だからこそ、紙の本そのものの良さを感じられる。そんな人が少しでも増えてほしい。
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