「可愛くなりたい」。
小学生の頃から今に至るまで、何度もリフレインする欲望。終わらない螺旋階段のような地獄から、いつになったら抜け出せるのだろうか。
◎ ◎
電車に乗って顔を上げたとき、繁華街で目当ての店の看板を探すとき、ベッドに寝転がりYouTubeを見るとき。世界は私たちを急き立ててくる。「可愛くなれ」「痩せろ」「美しくあれ」と。時に同調を強いたり、脅迫したり、手を変え品を変え、物心ついた頃から白髪交じりのおばあさんが骨壺に入るまで、やつらは追いかけてくる。
しかし、私は知っている。誰かに急かされてする自己投資ほど虚しいことはないと。そして、世界には、虚しさの対極にある「可愛くなりたい」が存在することを。
◎ ◎
可愛いものをみて泣いたことはあるだろうか。
特大の愛とリスペクトを受けたアイドルの卒業コンサートで、私は泣き崩れた。ライブビューイングの大画面に、涙をこらえるキラキラの瞳が映る。髪飾りもミニドレスもパンプスの先まで可愛くて、ハンカチで顔を覆ったのだった。
座席の両隣には、同志でもある他人。少し気を遣ったのだろう。どこかに冷静な私もいた。「人って、可愛いものをみて泣くんだ……」。映画館の斜め上で見ていた天の声が、引き気味にツッコんでくる。
これまで、たくさんのアイドルに救われて生きてきた。ステージで輝く彼女たちを見ていると、ちゃおを読んでいた頃の気持ちになるのだった。ファンデがなくなったらデパコスデビューしてみようとか、毎日使うし髪にいいドライヤーにしようかなとか、見てくれをブラッシュアップしたくなる。心臓が先走り、手足が引っ張られるような、感情の容量を5倍くらい超えた「可愛くなりたい!!!」で満ち溢れる。
◎ ◎
「可愛くなりたい」。私がアイドルを見て受け取るエネルギーは、ただそれだけなはずがない。努力を重ね、時に弱音を吐き、跳ね返すように人間臭いパフォーマンスをする、彼女たちのような人でいたい。「好きな自分でいたい」。
リスペクトを極めた末の「可愛くなりたい」が、外界から圧をかけられて発する「可愛くなりたい」と同じであっていいはずがない。後者は呪縛だ。
◎ ◎
ライブが終わり、キラキラのアイドルは芸能界を去った。スクリーンが真っ暗になったあとも、すぐに席を立つことなどできない。涙で水浸しの顔を拭き、トイレットペーパーで鼻をかんで、ようやく映画館をあとにした。
私は明日も、私の可愛いに邁進する。彼女がステージに残したキラキラだけを追いかけて。