高校1年のとき、私は定期テストで学科内3位、模試で学年1位の成績を修めた。同じ中学の友人たちが広めた「ネキちゃんは頭いい」という呪縛のような周囲の先入観と戦いながら一生懸命勉強してきた。
勉強だけでなく、医学部志望者向けのイベントに積極的に参加したり医療系の新聞記事の切り抜きを集めて積極的に情報収集したりしていた。陰ながらの努力が友達に注目されないことに内心苛立ち、次第に私は傲慢になっていた。医学科志望のクラスメイトたちの成績を聞いて心の中では軽蔑し、自分より上の人たちに対しては地頭の良さに嫉妬するだけで彼らから学ぼうとはしなかった。本当に本気で医師を目指しているのは私だけだと思っていた。
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状況が一変したのは2年になってすぐだった。苦手な理系科目の授業数が増えて内容は難しくなり、しばらくすると授業についていけなくなっていた。さらに、1年生のとき力を抜いていた人たちが本気を出し始めあっという間に追い抜かれてしまった。2年最初の定期テストでは学科内トップ10から陥落。ただでさえショックだったのに、もっと傷を深くしたのは仲のいい女子だった。私が落ち込んでいると知りながら自分の成績が上がったことを嬉しそうに報告し勉強法を一生懸命説いてくる様子は私の転落劇を喜んでいるようにしか見えなかった。その夜、私はLINEのステータスメッセージに「誰も私に関わらないで!」と病み文をあげてしまった。
病みだした私を友人たちは心配してくれて、「そんなこともあるよ。次頑張ればいいよ」「その成績だって十分凄いよ」などといってくれたが私の心は癒されなかった。そのときの私にはどんな言葉も悪意に聞こえた。私の気持ちなんて知らないくせに、内心ではこの転落劇を楽しんでいるくせに。担任との面談でも「ネキちゃんどうしちゃったの……」と心配されてしまい、先生の前で泣いてしまった。私ができる子であること前提の励ましも、頼んでもいない善意もいらなかった。ダメな私を素直に受け入れてほしかったし、私自身もそんな私を受け入れたかった。
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数日して、突然親友がLINEに一つのYouTubeリンクを送ってきた。彼女もまた、2年生になった途端本気を出してトップに躍り出た一人だった。開いてみると、女性歌手の明るい曲だった。意図のわからないメッセージに困惑した私は「これは何?」と聞くと「テストで落ち込んでたでしょ。これ見て元気出して」と送ってきた。それ以上でもそれ以下でもない粋な計らいに涙が出た。
学校でも私の前では成績の話はせずに、おどけてくだらない話ばかりしてきた。下剋上を果たして学科トップに輝いた彼女は、学科内で羨望の眼差しを受けていた。勉強時間記録アプリではたくさんのフォロワーから称賛を受けていた。落ちこぼれてしまった私のことなんて見ていないと思っていたのに、一番私の痛みを理解して癒してくれた。親友の優しさが痛いほど沁みて、これまでの自分の傲慢さを恥じた。
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その後も様々な苦難があったが何とか乗り越えた。天才たちも努力を積み重ねて才能を築き上げてきたこと、努力は必ずしも報われるわけではないこと、それでも自己実現のためには努力するしかないことを学んだ。
現役合格を果たし、今は医学生として忙しい日々を送っている。あの時救ってくれた親友は神経性の病気と戦いながら今も受験勉強に励んでいる。あの愛がなかったら、私はとっくに折れてしまっていただろう。それどころか、傲慢で最低な人間のままでいたかもしれない。今の私はまだ無力で親友のために何もできない。けれど、辛いことがあったら真っ先に助けを求めてほしい。今度は私が助けるから。