私は、今年で25歳という20代の半ばに入っている年になった。今の日本、その他の国々の変化にとどまらず、私の周りの人もそれぞれ変化し続けていく。そんなように、私の親戚や知り合いの人は次々と結婚したり、子どもを出産して子育てしながら家族生活を送っている様子をSNSに知らせたり、そういった話が耳に入るようになった。
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小さい頃から、「幸せに暮らしたい。運命の人がいれば、出会って結婚して共に生きたい」と思っていた。25歳になってそれを振り返ると、「運命の人って、もしかしたらいないかもしれないし、もしかしたら、出会わないまま終わるだろうな」とか、「そんな贅沢なこと考えずに、目の前の仕事とプライベートを充実していきたい」とか、考えがぼやける自分がいた。
小さい頃から、友達が少ない方だったため、今でも「寂しい」と思わず感じることが多くなったような気がする。元々、小学校の頃はバスケットボール、中学校と高校はバレーボールを続けてやっていたため、周りの人と何か協力して成し遂げることについて大きな抵抗はなかった。しかし、自分が周りに合わせすぎてしまう癖が強いことから、あまり人と一緒に遊ぶことも嫌いではないけど、1人で遊ぶことの方をより好きになった。
1人遊びを続けていると、たまに見かけた人から「1人で遊んで寂しくないの?」と聞かれることも少なくなかった。そのたび、「周りの人からしてみたら、私は1人でいすぎかな?」と自分でも思ってしまっていた。1人でい続けても、自分からしてみれば、誰にも迷惑かけずにいるつもりだけど、なにか心配されているようだし、普通にしているように見えるけど友達いないの、と疑われているようでだんだんと孤立するようになっていった。
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以前の私は、大学生になって上京して、1人で何かをすることに対して、とても敏感になっていた。周りの人の目を窺い、行動を起こした後に「1人で来なければよかったな」という後悔の気持ちがいつもあった。
その代表が、推し活であった。元々、人気でないアニメであったが、5歳のときからずっと観ていて、どんなの過酷な状況でも最後まで諦めずに立ち向かう主人公やそのほかのキャラクターたちの姿に励まされてきた。丁度、小学校の時にやっていたバスケ、中学校や高校のバレー、そしてと受験のときに失敗続きになってしまって落ち込んでいた時に、いつも支えになっていた。周りの人が、友達とか親子とかで推し活に参戦する姿を見かける度、寂しい感情に襲われる。
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でも、今の時代、推し活はもちろんのこと、ソロ活もしている方も少なくない。実際に、友達と行きたかったけど仕方なく1人でディズニーに行ってきた話なども当たり前に聞くようになってきている。問題は、1人1人の気持ちの捉え方なのだ。
だから、そのアニメだって私が好きなものだからわざわざ遠くまで来て観に来たという気持ちと、「寂しい」とかの素直な気持ちも受け止めることも必要であることに気づいた。誰しも、1人でいたら寂しい気持ちがあって当たり前。だからこそ、人は1人では生きていけない。でも、1人でも楽しいことを少しずつ見つけていくことが大事なのだと思った。1人でいて、周りの目を窺わず、思いっきり1人で活動することを楽しむことも大切だと思った。
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私は、結婚するかどうかは別として、今はまず、1人でどう生きるかと、寂しい気持ちも受け止める勇気を持ちながら、1人でどう人生を充実するかについて考えていきたいと思う。もちろん、独身でいたい気持ちはないが、無理に人に合わせる生き方も時に猛毒になるので、ほどよく人と付き合いながら生きていきたい。